アンリ・ルソー


プロフィール

生誕/死没

1844年~1910年

フランス

代表作

戦争

画像_アンリ・ルソー「戦争」

ルソーの作品はどれもルソーが描いたものだとすぐ分かるような独特な個性があります。

眠るジプシー女

画像_アンリ・ルソー「眠るジプシー女」

ジプシーとは、特定の国家に所属したり定住したりせずに、移動しながら生活をする民族です。

画像_アンリ・ルソー「夢」

ルソーが亡くなる前の最後の作品です。ジャングルをモチーフにしているのが同時代の他の画家と比べると新鮮で良いですね。

プロフィール

生まれや環境

アンリ・ルソーはフランス北西の町ラヴァルに生まれました。高校を中退した後、兵役に就いたり法律事務所に入ったりするなどしましたが、パリの税関職員になります。彼は税関の仕事に就いてから20年以上そこで働き続けます。そう、ルソーは職業画家ではなかったのです。ですが、絵を描くのが好きだったようで、余暇で絵を描く「日曜画家」ではありました。現存する最初期の作品は35歳頃の作品のようです。

ちょうどそれから少し経った頃に、新印象主義の画家、ジョルジュ・スーラやポール・シニャックらによって立ち上げられたアンデンパンダン美術協会が、審査無し・褒賞無し・自由出品の美術展「アンデパンダン展」を開催し始めます。ルソーも1886年からアンデパンダン展に出展するようになりました。

ルソーはアンデパンダン展にずっと出展し続けましたが、そこではあまり評価されていませんでした。それは独創的すぎるルソーの絵が当時のサロンで評価されないことは当然のこと、保守的なサロンからの”独立”を図って設立されたアンデパンダン展(アンデパンダンとは”独立”という意味)でさても評価されませんでした。

それでもルソーはこつこつと余暇で絵を描き、出展し続けました。ルソーは50歳のときに税関を退職し、バイオリン教師をしながら絵を描くようになります。現在知られているルソーの作品のほとんどは税関を退職してから描いたものです。ルソーは1910年に肺炎で亡くなるまで描き続けました。

不幸多きプライベート

ルソーは非常に身内の不幸が多かったようです。まず最初の奥さんを亡くし、生まれた子どもを亡くし、2番目の奥さんも亡くし…、と自分の身内を立て続けに亡くしています。

またルソーが亡くなる1年前、1909年には、手形詐欺事件で疑われて勾留されたことがあったようです。(ルソーは利用されただけという説もあり、真相は明らかになっていませんが。)不幸にも、純真で子どものように人を疑うことを知らないルソーの人柄が、こういった事件に巻き込まれた原因となってしまったように思います。

生前は画家として世間から評価されることもほぼ無かったので、なかなか逆境の多い人生だったように思います。ですが、ルソーの描く作品はそういう苦しみを感じさせない夢想的な作品が多いのが特徴的ですね。

アンリ・ルソーの夕べ

「アンリ・ルソーの夕べ」とは、同時代の詩人ギヨーム・アポリネールや、画家パブロ・ピカソ、ポール・ゴーギャンらが、ルソーを中心に立てて集まる会を1908年に開いたものです。場所は、現在でいう芸術家のシェアハウスとなっていた通称「洗濯船(バトー・ラヴォワール)」というパリにあるアパートでした。

ルソーは生前、芸術家や評論家たちからほとんど高い評価を得ることがなかったとを先ほど少し触れましたが、この会もからかい半分で開かれたのではないかと言われている部分もあるようです。

ですが、この会を催した芸術評論家でもあるアポリネールは晩年のルソーの絵を高く評価していますし、ピカソら新進気鋭の画家たちもルソーを高く評価していたようです。「アンリ・ルソーの夕べ」でも、先ほど挙げた人物以外にも数多く詩人や画家が集まり、ルソーを讃える詩が披露されたようです。

作風

魔術的イマジネーションの風景

アンリ・ルソーの絵を一度見たら忘れることはないでしょう。それくらいに強いイメージとして私たちの頭に残ります。ですが、ルソーが西洋美術の世界で出てきた画家でなければ、きっとここまでのインパクトを我々に与えることはなかったでしょう。ルソーの独特なイメージの源泉となっているモチーフは異国の地がほとんどです。砂漠であったりジャングルであったり、他の西洋絵画ではあまり観られないモチーフを扱っており、それが他の西洋絵画と比較したときのルソーらしさになっています。

生きている間にあまり高い評価を得られなかったとはいえ、これらの独特なモチーフの絵画が出展されたことで、ルソーはきっと他の芸術家たちに大きな印象を残したのだろうと思います。

ここで「あれ?」と思った方もいらっしゃるでしょうが、ルソーは20年以上税関職員をしており、余暇で絵を描いていた日曜画家です。そんな彼がジャングルや砂漠と出会う機会があったのでしょうか?

実は、彼はこれらの風景をパリにある植物園の植物のスケッチから組み合わせて構成したのでした。結果、ルソーは一つ一つの植物を丁寧に描きつつ、それらを、遠近感を感じさせない個性的な構成でまとめることに成功しています。ただ、ルソー自身は「ナポレオン3世と共にメキシコ従軍したときの思い出を描いたのだ」と言い張っていたようです。その発言については根拠が無いと言われていますが、その代わり、一時兵役に就いていたときに、メキシコ派遣から無事に帰還できた兵士たちから話を聞く機会があったようです。ルソーはそのときの内容を膨らませる形で描いたのでしょう。

このように、ルソーはあくまで自分の思い浮かべたイメージを頼りに描いたことで、独特な色合いの個性的な作品たちが生まれたのだと思います。

「子どもの絵」と笑われた人物の絵

自然が大好きだったルソーは植物を丁寧に描き、その独特な形、色合い、構成によって、他の画家に類を見ない幻想的な風景を描きだしました。そしてルソーは、風景の描き方だけでなく人物の描き方にも特徴がありました。

顔の向きは基本的に正面向き、あるいは、横向きで描かれます。そして卓越したデッサン力かというと、決してそんなことはありません。ルソーが亡くなった後にピカソが創始する「キュビスム」とも似たような、独特なデフォルメの仕方をしています。

このようなルソーの絵を、ほとんどの芸術評論家たちは「子どもの頃に楽しんで描いた絵そのものだな~」と笑いました。それでもルソーは自身を信じて死ぬまで楽しんで絵を描き続けたのです。ルソーが評価されるようになったのは、20世紀前半から半ばにかけて原始芸術(プリミティブ・アート)が流行してからです。むしろアンリ・ルソーという画家によって、子どものように素朴な芸術を芸術として受け入れていく素地ができたとも言えるでしょう。そしてその流れの先に、日本でもよく知られている「アウトサイダー・アート」があります。

第三者による評価や芸術におけるセオリーにとらわれることなく、本当に子どものように絵を描くことを愛し、自然を愛し、人を愛し、描き続けた芸術家、アンリ・ルソー。きっとルソーの存在によって「芸術ってなんだっけ?」と気付かされた人たちが数多くいたのではないでしょうか。同時代の評論家たちに笑われた純粋で素朴な芸術家は、今こうして私たちに絵画に触れる喜びを与え続けてくれています。素晴らしいことですね。