アーニョロ・ブロンズィーノ


プロフィール

生誕/死没

1503年~1572年

イタリア

代表作

本を持つ若者の肖像

画像_アーニョロ・ブロンズィーノ「本を持つ若者の肖像」

ブロンズィーノの手にかかれば通常の肖像画もややホラーな感じに…。

愛の寓意

画像_アーニョロ・ブロンズィーノ「愛の寓意」

ブロンズィーノは知らないという方でも、この絵を知っている方は多いのではないでしょうか。手前ではなく奥の人物たちを見ると…やっぱりホラーですね。

エレオノーラ・ディ・トレドと子息ジョヴァンニの肖像

画像_アーニョロ・ブロンズィーノ「エレオノーラ・ディ・トレドと子息ジョヴァンニの肖像」

どことなく不安な感じのする親子の肖像です。

プロフィール

生まれや環境

アーニョロ・ブロンズィーノはイタリアはフィレンツェからほど近い貧しい肉屋の子として生まれました。

“ブロンズィーノ”というのはあくまであだ名で、本名はアーニョロ・ディ・コジモ・ディ・マリアーノ・トーリと言います。彼がブロンズィーノと呼ばれたのは、彼の髪の毛の色が青銅色(イタリア語で「ブロンゾ」)であったことに由来する、と言われています。ブロンズィーノに限らず、わりとイタリアの画家はあだ名が通称になっている例が多いですね。

さて、そんなブロンズィーノは若い頃から絵を描き始め、まだ少年の頃に初期マニエリスム期の巨匠、ヤコポ・ダ・ポントルモの工房で働き始めました。

ポントルモの元で修行をしたブロンズィーノは、その後、メディチ家のフィレンツェ公コジモ1世とエレオノーラ・ディ・トレドの結婚の祝祭を装飾するために大勢の画家の1人として呼ばれます。

このときにブロンズィーノを呼んだのは師匠であるポントルモでした。別の場所で制作をおこなっていたブロンズィーノをわざわざ呼び出すくらいなのですから、このときのブロンズィーノはすでに、ポントルモからも認められるほど手腕のある画家だったのでしょう。

それをきっかけにメディチ家と接点を持ったブロンズィーノは、すぐにメディチ家に気に入られて宮廷画家となります。

ブロンズィーノは、代表作として挙げた「エレオノーラ・ディ・トレドと子息ジョヴァンニの肖像」など、宮廷で数多くの肖像画を描き、ヨーロッパに広く知られるようになり、その描かれた肖像画から数多くのコピーが作られたと言われています。

初の美術アカデミーの創設メンバー

ブロンズィーノと同じくマニエリスム期の画家であり、ルネサンス期の画家を紹介した「美術家列伝」を著すなどで著名なジョルジョ・ヴザーリが、1563年に最初の美術アカデミー「アカデミア・デッレ・アルティ・デル・ディゼーニ」を設立します。ブロンズィーノもその創設メンバーになりました。アカデミア・デッレ・アルティ・デル・ディゼーニでは、素描を中心に、解剖学や幾何学なども併せて学ぶことができたそうです。

アカデミア・デッレ・アルティ・デル・ディゼーニが設立された背景には、自らの結婚祝祭に多くの芸術家を招いて装飾を依頼したフィレンツェ公コジモ1世の存在があります。

コジモ1世はヴァザーリやポントルモ、ブロンズィーノといった画家たちを庇護したり、ミケランジェロの葬儀をおこなったりするなど、芸術について造詣の深い人物でした。実はヴァザーリが著した「美術家列伝」も、コジモ1世に捧げて作られたものです。

ルネサンス期の芸術復興の勢いが落ち着いてしまった16世紀のフィレンツェに、コジモ1世のような理解ある後ろ盾がいたことで、ブロンズィーノらはおおいに救われたのではないでしょうか。

作風

ひんやり怖い絵

たぶんアーニョロ・ブロンズィーノは意図して描いたわけではないのでしょうが、彼の描く絵にはどこか怖い要素があります。ちょっとその「怖さ」を紐解いてみましょうか。

まず特筆すべきは、そのヒヤッとした色彩感覚です。人物の肌は石膏像のような白さで人間的な赤みが抑えられています。それによって、美しいもののなんだか近寄りがたさを感じる色合いとなっています。

また、引き伸ばされたり極端な動きをした人体表現も、マニエリスム期の画家の典型ではありますが、独特な不自然さをかもし出しています。ブロンズィーノの絵ですと、人物の指が実際の縮尺よりも長く描かれているのが見受けられます。また、ブロンズィーノの著名な代表作「愛の寓意」などでは、描かれた人物(左の男の子のかがめ方や右上のおじさんの伸ばした腕など)の身体のひねり方がやや誇張されていますね。

このように、色や動きによるアンバランスさが、不安を煽るような絵画になっている一つの大きな要素になっているかと思います。

また、これはブロンズィーノの肖像画でもそうなのですが、冷ややかな表情が印象的ですよね。きゅっと口を結ばせた真顔で高貴さを演出する肖像画は、他の画家のものでも多くに見られるやり方ですが、ブロンズィーノの肖像画がとりわけホラーっぽく見えるのは、たぶん人物の目がうつろだからでしょう。

瞳に白く光が入れられているものであっても、焦点が合っていないような、何も目に写っていないかのような描かれ方をしているので、そこが冷淡さや怖さを見事に演出していますね。

エレオノーラは、自分と息子の肖像画である「エレオノーラ・ディ・トレドと子息ジョヴァンニの肖像」をとても気に入っていたようですが、この絵、夜中に真っ暗な部屋の中でうっすら浮かび上がっているのを見たら、めちゃくちゃ怖いと思います…。笑 怖くなかったのでしょうかね。

ラファエロやミケランジェロをお手本に

16世紀の西ヨーロッパではルネサンス期の芸術復興の衝撃がまだ尾を引いていました。マニエリスム期の画家の多くが、ルネサンス期の画家を理想として絵を学び、作品を作りました。

ブロンズィーノも例にもれず、ミケランジェロやラファエロの人体表現を手本とし、自身の作品に取り入れています。特に人体の誇張したような動きはミケランジェロの影響でしょう。

マニエリスムは「マンネリ」や「マニュアル」の語源の「マニエラ」という語からなる芸術の潮流です。これは「様式」という意味です。マニエリスム期の画家たちはルネサンス期に極められた絵画表現を模倣しました。ですが、完全に歴史の流れの中で埋没してしまった画家と、後世まで語り継がれている画家がいます。

これは、ただルネサンスを模倣するのみに終始した画家と、ルネサンスを超えようと工夫し個性的な表現にたどり着いた画家の違いかと思います。アーニョロ・ブロンズィーノはもちろん後者でしょう。