クロード・ロラン


プロフィール

生誕/死没

1600年頃~1682年

フランス

代表作

村祭り

画像_クロード・ロラン「村祭り」

「人物はおまけだ」とまで言ってしまうほどの模範的風景画家であるロランらしい絵。

アポロとメルクリウスのいる風景

画像_クロード・ロラン「アポロとメルクリウスのいる風景」

クロードロランの作品の中では珍しく人物がやや大きめに描かれています。

海港 シバの女王の上陸

画像_クロード・ロラン「海港 シバの女王の上陸」

ロランが名声を得た作品の一つで、自然な風景を再現する見事な観察眼と描写力、そして荘厳に見せるローマ風の建築物や旧約聖書の主題が、すべて合わさって美しい作品に仕上がっています。

プロフィール

生まれや環境

クロード・ロランは、本名を「クロード・ジュレ」と言います。ロレーヌ地方にあるシャマーニュという町で生まれたことから、そのロレーヌをとって「ロラン」と呼ばれるようになります。そんなロランは、貧しい一家の5人兄弟の3番目として生まれ、12歳で両親が亡くなり孤児となります。兄のジャンが木彫り職人だったこともあり、一緒にお隣ドイツのフライブルクへ移住した際に、兄からいろいろ芸術的な手ほどきを受けたようです。

若い頃のロランのことはあまり分かっていないことが多いようですが、10代後半から20代にかけては、ローマやナポリなどのイタリアの都市へ出て、主に風景画家のアゴスティーノ・タッシを師事して画家としての技量をつけていっていたようです。タッシの元を巣立った後は、祖国フランス以外に、イタリアやドイツを旅しながら絵を描いていたようです。また、故郷であるロレーヌで活躍していた宮廷画家の助手を務めていた時期もあったようです。

風景画家へ

クロード・ロランが生きた当時、17世紀の西洋(主に現在のイタリア、ドイツ、フランス、スペイン)は、ようやく風景画というジャンルが確立されつつある過渡期でした。ただ、少数存在した風景画を専門にする画家たちはなかなかパトロンを得たり画家として仕事を得たりすることが難しかったようです。というのも、やはりそれまで何世紀も続いてきた宗教画や歴史画、神話画のような、キリスト教や道徳的な教訓と紐付けやすいジャンルの絵画と違って、純粋な風景画に対する需要がなかったからです。

当時(というよりは近代までずっと)、絵画は美しさだけを讃えるものではありませんでした。あくまでキリストや聖人たち、あるいは、ギリシャ神話などに出てくる神々が描かれるべきものでした。絵画は権威を主張したり、暗に意味を含ませて外交の利用する道具であったりしました。風景は言わばお飾りで、宗教や神話の物語性をより伝わりやすくするためだけのものだったのです。

ですが、ロランの確かな観察眼と描く風景の美しさに、誰もが気付きました。記録によると、ロランが20代のうちに、当時のローマ教皇であったウルバヌス8世がロランのパトロンになったようです。ベンティボグリオ枢機卿のために描いた2つの風景画が目に止まったのでした。

強力なパトロンを得たロランは、着々と実力をつけ広く名を知られるようになり、30代の頃にはヨーロッパでは誰もが認める風景画家・海景画家となりました。

風景を描くことに誠実であり続けたロラン

クロード・ロランは風景画を描くために、風景画を人々に愛される価値あるものに高めるために生まれてきたような人物でした。ロランは風景を描くことにこだわる故に、人物を描くのを別の画家に任せていることもしばしばあったようです。

後に作風のところで触れますが、ロランの描く絵はどれも人物がなるべく小さく遠くから描かれています。それは風景にとって邪魔にならないように、非常に気を遣って構成をした結果なのでしょう。

ヨーロッパ中で人気となった後のロランは、様々な土地、様々な人のもとに渡っていく自分の絵画の複製をドローイングし、その裏に絵の購入者の名前などを書き添えて記録していたようです。とてもまめだったんですね。

(後には、それらのドローイングをまとめて本として世に出したようです。そのおかげで、後世の風景画家たちはみなロランを手本としていったのでした。)

ロランは、80歳頃まで生き、甥らに莫大な遺産を残しました。でも彼が遺したもっとも価値あるものは、その後の「風景画の未来」だったのではないかと思います。

ロランより遅れること1世紀半後に風景画家といて活躍したイギリス人画家ジョン・コンスタブルは、ロランを「世界が今まで目にした最も完璧な風景画家」と評し、ロランの作品のことを「全てが美しく-全てが愛らしく-全てが心地よく安らかで心が温まる」と大絶賛しました。

作風

人物はおまけ

クロード・ロランが活躍した当時は、人体を強く歪ませたり激しい光の明暗を用いるバロック美術が全盛期であり、それと並行するように、ローマやギリシャなど古代の建築や装飾を振り返って描く古典主義が流行っていました。

ロランの絵画は端正で荘厳な古典主義絵画に属するものですが、やはり際立っているのは、現代の我々の感覚からすると「明らかに風景画ですね」と言えるくらいに、人物を小さく描いていることでしょう。

代表作『村祭り』のキャプションでも書きましたが、絵画の購入者にも「人物はあくまでおまけである」という旨のことを話すことがあったようです。

先ほど、当時の絵画では宗教や神話などの物語性を利用して絵画に意味付けをするのが当然だったことに、ちょっとだけ触れましたが、ロランの絵画はそういう「意味付け史上主義」の人たちにも文句がつけられないものでした。

というのは、ロランの作品のタイトルを見ていただくと察しがつくかもしれませんが、例えば代表作に挙げた『海港 シバの女王の上陸』の「シバの女王」というのは、旧約聖書で登場する人物です。

そう。一応、宗教画と言えるような体裁なのです。笑

堂々と「風景を描きたかったからこれは風景画です」と言えない時代だったんですね。

人々に新しい美しさを気付かせた理想的な風景

これまで繰り返し触れてきましたが、クロード・ロランが活躍した当時はまだまだ風景画が一ジャンルとして認められていませんでした。

(完全に余談ですが、「ヨアヒム・パティニール」という風景描きたくてしょうがなかったんだろうな~という画家を以前紹介しましたが、ロランより1世紀以上前の画家かと思うと、パティニールもなかなかすごい画家ですよね…。笑)

ですが、ロランが追求した理想的な風景は、絵画の登場人物による意味付けや、選ぶ主題による意味付けなど、全部ふっ飛ばしてしまうほどに、ただ壮大で美しいです。

私の大学時代の友人にも、数名クロード・ロランの描く風景の美しさにのめりこんだ人たちがいました。代表作のうちでは、やはり『海港 シバの女王の上陸』の完成度がとても高いと思います。

よく研究され再現されたローマ風の建築、港の人々の様子、開けた空と雲…。そして、うっすらと輝く陽の光が、この風景全体に命を吹き込んでいます。「ああ、綺麗だなぁ…」と感嘆のため息が出るような、そんな景色がそこにはあります。