ジャック=ルイ・ダヴィッド


プロフィール

生誕/死没

1748年~1825年

フランス

代表作

ブルートゥスの邸に息子たちの遺骸を運び込む警士たち

画像_ジャック=ルイ・ダヴィッド「ブルートゥスの邸に息子たちの遺骸を運び込む警士たち」

18世紀前半におこなわれたポンペイとヘルクラネウムの遺跡発掘が、同時代の画家たちに大いなるインスピレーションを与えたことは間違いないでしょう。ジャック=ルイ・ダヴィッドもその1人でした。

ソクラテスの死

画像_ジャック=ルイ・ダヴィッド「ソクラテスの死」

みなさんも学校の教科書で一度はこの絵を見たことがあるでしょう。いわれのない罪によって死刑となった古代ギリシャの哲学者・ソクラテスが、毒をあおって死ぬ間際まで自らの意思を貫く姿勢を描いています。

アルプスを越えるナポレオン

画像_ジャック=ルイ・ダヴィッド「アルプスを越えるナポレオン」

ナポレオンの勇猛な様子を見事に理想的に描いている作品です。躍動感があふれています。

プロフィール

生まれや環境

フランスはパリで商人の子として生まれたジャック=ルイ・ダヴィッド。ロココ美術の巨匠であったフランソワ・ブーシェが親戚におり、そのブーシェの紹介でジョゼフ=マリー・ヴィアンを師事しました。

ダヴィッドが画家として最初に才能が花開くのは26歳。当時としては遅咲きでしたが、何度かの失敗を経て、ようやく若手画家の登竜門であるローマ賞を受賞しました。ローマ賞を受賞したことで国費でのイタリア留学が決まったダヴィッドは、同じタイミングでローマのフランス・アカデミーの院長となった師匠・ヴィアンと共にイタリアへ留学します。

実はそのイタリア留学がダヴィッドにとってのターニングポイントでした。ちょうどその頃のイタリアは、ダヴィッドの生まれ年と同じ1748年から発掘されたポンペイやヘルクラネウムの遺跡が人々の関心の的になっていたのです。ダヴィッドはイタリア留学でルネサンスの絵画などを学んでいましたが、彼は完全に古代に心を奪われていました。

ダヴィッドが古代の厳かな芸術に興味を抱いたのは、貴族文化に寄り添ったロココ美術のふわふわとした絵画からの転換期であったこともあるでしょう。そんな背景もあり、ダヴィッドは「芸術の理想は古代にあるぞ!」と確信したのでした。

その後フランスに戻ったダヴィッドは、王室から注文を受けるようになります。当時のフランス国王であったルイ16世からの依頼で「ホラティウス兄弟の誓い」という作品を制作します。

この主題は、ローマ建国の伝説で出てくる、ローマと対立関係にあった国と死闘を演じた「ホラティウス3兄弟」です。当時のフランスは、王政に不満を持った民衆の革命の機運が高まりつつあり、当の王から依頼を受けて制作したダヴィッドが、王に対する忠誠心を込めた作品だったのでしょう。

(とはいえダヴィッドは、その後起こったフランス革命によって失脚し、斬首刑にかけられたルイ16世に対して、処刑に賛成票を投じていたようですが…。なんにせよ、当時のフランスはまさに激動の時代でした。)

政治に深く入り込んだ画家

フランス革命前は、フランス国王ルイ16世の命によって作品制作をおこなっていたジャック=ルイ・ダヴィッド。彼は自らが至高であると信じた古代をモチーフにした厳格で硬質な作品を描く画家としての肩書き以外に、フランス革命のときにできた政党「ジャコバン派」に所属していました。

フランス革命の頃は、民衆自身が次なる時代を切り開く機運が高まっていました。様々な人たちが「これからのフランスは立憲君主制であるべきだ!」「いやいや、共和制だ!」などと各々が信じる道を説き、日夜議論し合いました。その時代背景を受けてダヴィッドも「球戯場の誓い」などの作品を残しました。

「球戯場の誓い」は、日本では「テニスコートの誓い」と歴史の授業で教わることが多いでしょうか。テニスコートの誓いとは、まだ王政が持続していた革命前、ヴェルサイユ宮殿の球戯場に平民(僧侶と貴族以外)たちが集まって、「憲法を制定するまでは絶対に団結していこうぜ!」と初めて誓い合った、まさにフランスの歴史に残る名シーン(当時はそれが我が事だったわけですが…)です。

また、ダヴィッドはフランス革命の始まりと言われている「バスティーユ牢獄襲撃事件」にも加わっており、フランス革命を推進した革命派の中でも特に過激なグループにいたことがうかがえます。

ダヴィッドと共に過激なグループの中で先陣を切っていたマクシミリアン・ロベスピエールは革命時に実権を握ったことで恐慌政治をおこない、それがきっかけで失脚した際には、ダヴィッドも一時的に投獄されることとなりました。

ダヴィッドはそれで懲りることなく、今度は革命後のごたごたを収束させた軍人・ナポレオン・ボナパルトの傍につきます。

ナポレオンには、ジュリエット・レカミエという既婚女性に惚れ込んでおり、彼を愛人にしようと目論んでいました。そこでナポレオンはダヴィッドに頼んで彼女の肖像画を描いてもらい、それをレカミエ夫人へプレゼントしました。ですが、残念なことにレカミエ夫人は「私を落とそうなんて不純な動機なんてサイテー」と、はねのけてしまい、結局絵は完成しませんでした。(その後、他の画家が一応は仕上げたようですが。)ですが、ナポレオンはそれでもダヴィッドを庇護します。気に入っていたのでしょうね。

その数年後にはナポレオンの主席画家として任命され、ナポレオンを描いた作品を何点も作成します。最終的にナポレオンはダヴィッドに「帝国における騎士ダヴィッド」の爵位を与えました。しかし、それからまもなくナポレオンは失脚し、またもやダヴィッドは政治に翻弄されて失脚してしまいます。

ベルギーのブリュッセルへ亡命したものの、ダヴィッドはその地で77年の生涯を閉じます。悲しいことに亡くなった後のダヴィッドの亡骸は、ルイ16世の処刑への賛成票を投じていたことで、フランスに帰ることすら叶いませんでした。現在、心臓だけはフランスのパリにある墓地に埋葬されているそうです。

作風

圧倒的にストイックに形式を重んじた絵

ローマ賞を獲得し、国費でイタリアへ留学したジャック=ルイ・ダヴィッドが、古代の厳かな芸術様式にハマることがなかったら、新古典主義の時代はなかったかもしれません。それほどまでに、ダヴィッドは新古典主義の絵画の中心的な画家でした。

しかし、ダヴィッドが時代を切り開いたというよりは、ずっと続いていた王政の腐敗に対するフランスの不安定な情勢が民衆に古代への憧憬を抱かせ、ダヴィッドもその渦中で振り回された1人だったのでしょう。

ダヴィッドが描いた絵画は、権力者の肖像画も自分が所属していた革命派の様子を描いたものも、ほぼ全てにおいて古代ローマや古代ギリシャを意識して描きました。絵の中の人物たちはみな古代的な格好をしていますし、背景も、人物の傍に添えられた小物も、どれもがよく古代の研究をした上で描かれたものでした。

ナポレオンに愛される演出上手

代表作として紹介している「アルプスを越えるナポレオン」ですが、同じような構図で他にも4枚、アルプスを越えていくナポレオンを描いた作品があります。これはナポレオンからの依頼で描いたものでしたが、ナポレオンにとっては政治的な宣伝、要するにプロパガンダ用に依頼したものでした。

そういう意図だったがゆえに、ナポレオンは通常の肖像画のやり方に従ってモデルとしてダヴィッドの前に座ることを拒みました。身体的な特徴を描かれること以上に、自分の内面の気高さやパワーを描いて欲しかったのでしょう。

これは研究熱心で形式に従って描くことを望んだダヴィッドにとっては大変な苦労だったでしょうね。結局ダヴィッドは、ナポレオンの身体的な特徴を彼の息子をモデルにして描き、馬は馬で別にモデルにして描き…と、ナポレオンが欲している理想の姿を演出して描きあげました。

結果として、ナポレオンはダヴィッドの絵をとても気に入りました。実際、雄々しくいななく馬にクールに跨がりアルプスを越えていくナポレオンの姿を描いた絵は、フランスを治める皇帝として理想のカッコよさを演出できていると思いませんか?

ナポレオンの肖像画だけでなく、ソクラテスの絵も、テニスコートの誓いの絵も、ダヴィッドが描いた作品の多くが教科書や、様々な書籍で使用され、現代の我々の目に触れるものとなっているのは、やはりジャック=ルイ・ダヴィッドの類まれなる演出のうまさが活きているからだと私は考えています。