ジュゼッペ・アルチンボルド


プロフィール

生誕/死没

1527年~1593年

イタリア

代表作

画像_ジュゼッペ・アルチンボルド「春」

「春」「夏」「秋」「冬」の4枚で「四季」と呼ばれる連作となっています。現代アート的な新鮮さもありますね。

司書

画像_ジュゼッペ・アルチンボルド「司書」

Bunkamura25周年特別企画で2014年に開催された「だまし絵Ⅱ 進化するだまし絵」展のポスターの表紙を飾った作品。

ウェルトゥムヌスに扮するルドルフ2世

画像_ジュゼッペ・アルチンボルド「ウェルトゥムヌスに扮するルドルフ2世」

死の間際に制作してモデルになっているルドルフ2世に送った作品。風変りな画家、アルチンボルドの集大成的作品と言えるでしょう。

プロフィール

生まれや環境

イタリアはミラノに画家の息子として生まれたジュゼッペ・アルチンボルド。当時は後期ルネサンス時代で、レオナルド・ダ=ヴィンチらルネサンスの巨匠たちの活躍で、写実性が高く人性の強い絵画の絶頂期は越えた時期でした。

アルチンボルドのプライベートな部分はあまり明らかになっておらずあまり私生活を知られていない画家ですが、彼の最初の画業は油彩などではなく、ステンドグラスのデザインだったようです。

その後はステンドグラス以外にタペストリーの下絵を描いたり、フレスコ画を制作したりしていたようですが、初期の頃は現在世に知られているような”風変りな”画風はなりをひそめています。

1562年にはウィーンへ赴き、神聖ローマ皇帝のフェルディナント1世の宮廷画家になります。彼の独特な絵画が出現するのは、その頃からのようです。

最初に制作をしたのが、「地」「水」「火」「風」の4作品が連作になっている「四大元素」シリーズでした。その後も、立て続けに連作「四季」シリーズを製作します。(代表作で挙げた「春」を含む連作ですね。)

これらのシリーズがフェルディナント1世の息子マクシミリアン2世に大受けし、マクシミリアン2世はアルチンボルドを寵愛しました。アルチンボルドは宮廷で、画家としての仕事だけでなく、宮廷内の装飾や衣装のデザイン、祝典などの企画演出を手掛けた上、鍵盤楽器や噴水などを発明してしまうなど、マルチに大活躍したようです。

また、マクシミリアン2世は「四季」シリーズなどのアルチンボルドの絵画を外交の贈り物としても利用したようですね。それだけ、アルチンボルドは神聖ローマ皇帝から絶大な信頼を得ていたようです。

マクシミリアン2世の息子、ルドルフ2世もアルチンボルドが大好きでした。というのもルドルフ2世自体も風変りなものが大好きなコレクターだったようで、よくアルチンボルドを従えては、珍妙なものを購入するときの相談をしていたようです。

アルチンボルドが年老いて自宅へと戻ることになった後も、ルドルフ2世は多くの報奨金や年金をアルチンボルドに与え、アルチンボルドはルドルフ2世へ絵を描いては送ることを亡くなるまで続けました。

シュルレアリストに再発見された画家

ジュゼッペ・アルチンボルドはこれまで書いたとおり、言うまでもなく当時一世を風靡した人気画家でしたが、生まれた時代によって不運にもその後忘れられた画家となってしまいました。というのも、アルチンボルドが活躍した時代のヨーロッパは、ちょうどルネサンス美術が衰退し、バロック美術の時代が到来するという、絵画史上でも大きな2つの風潮の隙間の年代でした。

それでもアルチンボルドなどは良い方だったかもしれません。後の時代の専門家たちに「ルネサンス美術で一つの絶頂期を迎えたので、この時代はいまいち迷走気味の画家が多いネ」などと言われ、ほとんど取り上げられることもない画家も大勢いるわけですから。

アルチンボルドは幸運なことに、ある芸術家グループによって1900年代に再評価されます。それは、サルヴァドール・ダリやルネ・マグリットらで日本でも有名なシュルレアリストたちでした。バロック時代やその後の厳格で理性的な新古典主義絵画の時代を経て、アルチンボルドの絵は「ただの趣味、お遊びみたいな低俗な絵画」と酷評され忘れ去られていたわけですが、様々な芸術の形を探っていた1900年代の芸術家グループによって、再び陽の目を浴びることになったのです。

作風

なんでこんな”風変り”な絵を描いたの?

先ほど少しだけ描きましたが、アルチンボルドが活躍した時期は絵画史的には「マニエリスム」という様式の画家が活躍した時代です。マニエリスムというのは「マンネリ」と語源が同じで、手法や様式などの「型」のことを指します。要するにルネサンスで一度極めてしまった芸術の様式を単に模倣するだけの画家や、乗り越えようと試行錯誤して失敗する画家たちが大勢いた、画家たちにとって苦悩の時代でした。

ですが、一方で様々な新しいことにチャレンジできる時代でもあったのです。もちろん、盛期ルネサンスのラファエロやミケランジェロを理想として、ただただ模倣し続ける画家もいましたが、アルチンボルドは無意識的にその時代の中で新しいことに挑戦した画家だったのだと思います。

ただ、アルチンボルドの絵画はルネサンス的である、とも言える部分があります。私がそう考えるのには、人間らしさに目を向けるようになった人々が知性的なものや好奇心をくすぐるものに強い興味を示すようになったルネサンス特有の時代背景があるからです。ルドルフ2世が珍妙なものをコレクションするのに夢中だったように、人々はパズルなどの知的なゲームや、不可思議なものに心惹かれました。

そう考えると、当時大人気だったことも、その後忘れ去られてしまったことも、みな納得がいくものであるかと思います。

400年近く早く生まれてしまった天才

シュルレアリストたちによって再評価された、という話は先にしましたが、アルチンボルドの絵画と出会ったシュルレアリストたちは「私たちが理想としているものに、かなり近しいことをしている人が400年も前のイタリアにいたなんてすごいな」といった感想を感嘆のため息と共に漏らしたことでしょう。それほどまでに、アルチンボルドの絵画は完成度の高いものでした。

植物で人体を表現することの斬新さで気付かれないことが多いですが、アルチンボルドのすごいところはただコンセプトが面白いだけでなく、細部まで徹底して描きあげる描写力の高さや、1つの作品につき100種類弱もの植物を効果的に構成するための植物学の知識の豊かさ、それらが揃った上で新しいことに取り組んでいるという、まさに天才的な所業を成し遂げているところです。

絵画史研究をしていると、ここまで個性的な画家であってもやはり絵画史の時間軸の中に組み込まれている感じはするのですが、もしも彼が1900年代にシュルレアリストたちと共に活動していたとしても、非常に評価されて然る画家であったと私は思います。

余談ですが、ルーブル美術館が以前(たぶんだいぶ昔だとは思いますが)おこなったアンケートでは、アルチンボルドの絵画は、レオナルド・ダ=ヴィンチのモナリザに次いで2番目に来館者の印象に残った絵画だったそうです。

時代ごとに評価される絵や画家は違うものですが、一度忘れられても再評価をされたり、ずっと一定の人気を誇っていたりする絵画は、やはり人の中に根底的にある、ある種の感動を引き出す強い魅力があるものなのでしょう。