ジョット・ディ・ボンドーネ


プロフィール

生誕/死没

1267年頃~1337年

イタリア

代表作

荘厳の聖母

画像_ジョット・ディ・ボンドーネ「荘厳の聖母」

同時代の他の画家と比べると写実的に描こうという意図が感じられます。おそらくジョットが描いた唯一の板絵と言われています。

キリストへの哀悼

画像_ジョット・ディ・ボンドーネ「キリストへの哀悼」

イタリアはパドヴァにあるスクロヴェーニ礼拝堂の装飾の一部。

カナの婚礼

画像_ジョット・ディ・ボンドーネ「カナの婚礼」

こちらもスクロヴェーニ礼拝堂の装飾の一部。建物は二次元的ですが、人物たちの営みはゴシック美術としては異例なほどリアリティーを感じます。

プロフィール

生まれや環境

ジョット・ディ・ボンドーネは、イタリアはフィレンツェの近郊に生まれました。

ジョットは、ゴシック美術からルネサンス美術へ移っていく過渡期の画家です。日本で知られている多くの画家はルネサンス期以降の画家なので、おそらく今この記事を読んでいる方にもジョットを知らない方が多いでしょう。

ですが、ジョットは「西洋絵画の父」と呼ばれるほど、西洋絵画の歴史の中では非常に重要な画家ととらえられています。

実際、私も様々な画家について調べてきましたが、ジョットの存在はキュビスムの創始者であるパブロ・ピカソ、印象主義の実質の先駆けとなったエドゥアール・マネ、ルネサンス期の天才画家、レオナルド・ダ=ヴィンチらと肩を並べるくらいの画家であると考えています。

なぜジョットが「西洋絵画の父」と呼ばれるのか。それは後ほど「作風」のところで詳しくご説明しましょう。

さて、そんな西洋美術史において最重要とまで言われる画家、ジョット・ディ・ボンドーネですが、プライベートについてはほとんどのことが伝わっていません。

実はルネサンス期以前の画家は、作品に署名を残す文化があるわけでもないですし、多くの画家が聖職者でもあり、あくまでキリスト教の修道院などのために壁画や天井画を制作しました。

ジョットは中世からルネサンスへの過渡期の画家であったこともあり、聖職者ではなく画業を専業としたヨーロッパで初めての画家という説もありますが、どのように修行しどんな作品を残しどんな私生活を送ったのか、情報が少ないことは同時代の他の画家らと同じのようです。

ジョットの代表的な仕事は、1305年に完成したスクロヴェーニ礼拝堂の装飾と、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の鐘楼のデザインくらいのもので、他のものはほとんど分かっていないようです。

(元々農民の子として生まれ、羊飼いをしながら岩に絵を描くなど、ネイチャーな生活をしていたところを、当時のゴシック美術の巨匠であったチマブーエに見出された、という話もあるようです。)

ですが、美術史を学んだことがある人は必ずジョット・ディ・ボンドーネという画家を知っています。私も大学で初めて西洋の絵画に出会ったときに、もっとも最初に知った画家の名前がジョット・ディ・ボンドーネでした。

次の「作風」でジョットがなぜ「西洋絵画の父」と言われるのか、その理由を掘り下げようと思いますが、ジョットのことをちょっとでも知っていると周りの友人や恋人に西洋絵画通と自慢できるかと思います。

是非、試してみてください。笑

作風

ルネサンスの幕開け、西洋絵画の父

中世の美術、例えば東ヨーロッパで流行したビザンティン美術やイタリアを中心に流行したゴシック美術は、とても二次元的で平面な絵画が多いです。それは、「神の似姿」と考えられた神の子イエス・キリストを人間的に描くわけにはいかないという当時の絵画の事情や、絵画という表現方法がそもそもキリスト教の布教のために存在するような時代だったことなどがあります。だから、一見すると子どもの落書きのようなへたっぴな絵で、その上どの画家も似たような感じに見えるんですね。

その中世の美術を経て、そこから数十年~数百年で、あのレオナルド・ダ=ヴィンチのような絵画が出現するのです。ルネサンスがいかに爆発的な勢いで起こったか分かることでしょう。

ルネサンス期に一体どんなことが起こったのか。簡単に一言でまとめますと、学問と芸術の世俗化、と言えるでしょう。

それまでのイタリアを中心とした西ヨーロッパの人々にとって、学問や芸術は主にキリスト教ありきで存在していました。先にも少し書きましたが、絵画もあくまでキリスト教の訓えを効果的に人々に伝える手段の一つでした。

そんなキリスト教会が強い影響力を持っていた西ヨーロッパに、イスラム圏から再輸入する形で古代ギリシャや古代ローマの学問や芸術が入ってきます。そこで人々はちょっと目が覚めちゃったわけです。

「あれ?教会があーだこーだ言っているけど、ぶっちゃけ学問とか芸術って本来キリスト教ありきの概念ではないよね…?」と。

まさにその時期に出現したのが、このジョット・ディ・ボンドーネという画家でした。正確に言うと、ルネサンスという大きな歴史の転換点になる、ほんのちょっと前の時期ですね。

ジョットの作品を、ジョットより前の世代の画家たちの制作した壁画や天井画などと比較をしていただくとより分かるかと思いますが、ジョットの絵画はそれまでのゴシック美術よりも自然な描かれ方をしています。

代表作で挙げた「荘厳の聖母」を例に説明しますが、まず中央に描かれた聖母マリアの胸のふくらみ、そして、そこから下へ垂れる衣服のひだ、これらが非常に具象的に描かれています。中世の絵画であれば、そのような人間的な特徴を描くことはまず少なく、そもそも手前や奥といった概念すら絵の中に取り入れないことが一般的でした。

他にも、この「荘厳の聖母」に描かれている左右の聖人たちの像も、全員が聖母を見つめるような描かれ方をしています。特に手前でひざまずく者の見上げるような横顔、これらは顕著に三次元的だと思います。これもやはり、ジョット以前の画家であれば、ただのっぺりと聖母子の傍に聖人たちを直立で立たせるだけで、そこに存在している人物として描かれることはなかったのです。

一つずつ見ていくと革新的な点がいくつもあるのが、ジョットの作品です。

代表作の二番目に挙げた、スクロヴェーニ礼拝堂に描かれた壁画の一場面「キリストへの哀悼」も、人物たちの表情や身振りからキリストの死に対する悲しみが伝わってきます。

空を舞う天使たちの姿も、頬杖をついているようなものやら、慈しみをもってイエス・キリストの亡骸を見つめるものやら、宙を蹴って飛び上がるものなど、バラエティーに富んでいます。

このように絵画を比較してこないと見えてこないジョットの革新性はややみなさんに伝わりにくいかもしれませんし、他の絵画についてもよく知っていることが前提になってしまいますが、もし友人たちや恋人に自慢をする機会があったときはこういう流れにもっていくと良いと思います。

あなた「レオナルド・ダ=ヴィンチって知っている?」

恋人「うん」

あなた「じゃあジョットは?ジョット・ディ・ボンドーネ」

恋人「え、誰それ?」

あなた「う~ん、そうだなぁ、あえて分かるように言うなら、『ダ=ヴィンチなどルネサンス美術の巨匠たちの原点』かな。ま、要するに『西洋絵画の父』って感じ。ははは」

恋人「きゃーっ!かっこいいー!」

このような具合です。ただ、確実にこの流れの通りになるという保証はできませんので、試す際はあくまで自己責任でお願いいたします。

とは言ったものの「ゴシック美術」の画家

さて、ここまで私はジョット・ディ・ボンドーネという画家の革新性について書いてきましたが、それでもルネサンスの画家ではなく、ゴシック美術の画家とされるのには理由があります。

ジョットは確かに、それまできわめて象徴的に描かれてきた教会美術に三次元性を与えた点で「西洋絵画の父」と呼ばれるにふさわしい画家であると思います。

ですが、彼の絵画はまだまだ中世の美術の伝統的な要素が多く、その形式を超えたとは言えないものです。

また、ジョットの後にマザッチョという画家が出現し、遠近法を採り入れた技術革新をおこなうのですが、ジョットの画業は技術的な革新とまでは言いきれないと思います。(まだまだ建物の大きさが不自然であったり、奥行などは計算されておりません。)

ですので、ジョットはあくまでルネサンスの種を植えた画家として、認識しておくのが良いかと思います。そしてそれは、その先何世紀も続く西洋美術の始まりでもあったのです。