ジョルジュ・スーラ


プロフィール

生誕/死没

1859年頃~1891年

フランス

代表作

アニエールの水浴

画像_ジョルジュ・スーラ「アニエールの水浴」

スーラ最初期の作品。まだ点描の要素が少ないのが特徴。

グランド・ジャット島の日曜日の午後

画像_ジョルジュ・スーラ「グランド・ジャット島の日曜日の午後」

スーラの最高傑作。ほぼこの1点のみで人々から認知されていると言っても過言ではないでしょう。

サーカス

画像_ジョルジュ・スーラ「サーカス」

スーラ最晩年の作品。絵本の1ページのような雰囲気の絵ですね。

プロフィール

生まれや環境

1859年12月、パリの比較的裕福な家庭に生まれたジョルジュ・スーラは、78年にエコール・デ・ボザール(国立の美術学校)へ入学、その数年後にサロンで素描(デッサン)が1点入選するなど、順当に画家としての人生を進みました。

寡黙で内気なスーラは、印象主義の画家たちが実践した光の描き方を、より科学的に探究して自らの作品で実践していきました。

スーラは光のスペクトルを分割し、光がどのように色として知覚されるのかを徹底して研究しました。そして、分割した光を絵具で描くには、点描がもっとも効果的である、という結論にたどり着いたのです。そう、点描画家ジョルジュ・スーラの誕生です。実は点描画ってとても科学的な根拠をもとに誕生した絵画だったんですね。

さて、そんなスーラでしたが、いくつかの大きな作品を点描を駆使して制作した後、わずか31歳でこの世を去ります。死因はさまざま憶測されていますが、ジフテリア菌による感染症が原因ではないか、と言われています。

若くして亡くなったスーラは、彼のじっくりと1つの作品に向き合うスタイルもあって、油彩作品が70点弱ほどしかありません。ですが、最後の印象派展で出展された代表作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」を、批評家から「これは印象主義をさらに進化させた”新”印象主義だ!」と絶賛されるなど、少ない作品点数で絵画史に大きなインパクトを残しています。

余談ですが、スーラは死の1年ほど前に内縁関係にあった女性との間に1人子どもをもうけていましたが、しばらく経つまでスーラの実の母親も子どもが生まれていたことを知らなかったそうです。あまり自分のプライベートの話を周りにしない寡黙なスーラらしいエピソードですね。

作風

ゆっくりじっくり絵画と向き合う

先ほども少し触れましたが、点描画はただ「テンテンテンテンテン…」と筆で点々描いていくだけのものではありません。点描画は、光を分割してとらえ、目に映る世界の鮮やかさをキャンバス上でより正しく再現しようとする方法なのです。

それゆえスーラは、何枚も何枚も素描や下絵を作成し、描き方を丁寧に吟味しました。もちろん光の描き方だけでなく、構成からモチーフの選択など、ありとあらゆるものを研究しては試し、試しては考察し…と繰り返していきました。

代表作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」は、制作に2年をかけています。

このゆっくりじっくりと作品と向き合うスーラの姿勢が、短い画家人生で大きな成果を残せた理由の一つでしょう。

寡黙な色彩研究者、ジョルジュ・スーラ

ジョルジュ・スーラは点描画を開発した画家ですが、彼は色彩理論の研究をおこなった化学者たちの書籍から理論を学んでいたようです。

例えばそれは、ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールの著した「色彩の同時対照の法則」でした。シュヴルールは、脂肪酸の研究で著名なスーラより半世紀ほど前に活躍したフランスの化学者ですが、色彩の研究もおこなっており、色彩を「類似色の調和」と「対比の調和」の2群に分類しました。

また他には、オグデン・ルードが著した「近代色彩論」からも影響を受けたようです。

「おや、なんだか小難しくなってきたぞ~…」と思われましたか?安心してください、色彩理論について専門的に掘り下げることはしません。ですが、ジョルジュ・スーラが影響を受けた理論について、簡単にご紹介しておきましょう。

ちょこっとご紹介!色彩理論:「補色対比」

まず、スーラが化学者シュヴルールの色彩理論から学んだこと。それは「補色対比」という理論です。

補色とは、簡単に説明すると色相環(美術の教科書に載っている色の輪っかですね!)で正反対の位置にある色のことです。例えば、青の補色はオレンジですし、赤の補色は緑です。

補色対比っていうのはそういう補色関係にある色を対比させて置いていくっていうことですね。

実際、「グランド・ジャット島の日曜日の午後」で描かれた、日があたっているところの明るい芝生は、鑑賞したときに明るい緑に見えるようにバランスを見ながら青とオレンジの点を置いていったものです。

スーラが補色対比を使った光の分割を実践したのには、さらに人間の目の光の受け取り方も関係しています。

人間の目には色を感じるために光を受け取る3つの受容体があります。特定の波長の光を受け取ると、それら3つの受容体を通じて感じた波長の強さのバランスによって、赤、青、黄緑だけでなく、さまざまな色に感じることができるのです。

例えば、赤と青が強く、黄緑が弱かったら、そのとき人は紫色を感じているのです。これが我々の目に見えている色の正体です。人間の神秘を感じますね。

とはいえ、この理論だけで「スーラを点描画へと駆り立てた」と言い切るには、ちょっと根拠が弱い気がします。

実際、補色対比自体は、他の画家、例えばスーラより10歳ほど年下のアンリ・マティスなども、赤と緑という補色対比で見事に描き上げた作品があります。あるいは、フィンセント・ファン・ゴッホも青と黄色に近いオレンジの補色対比で美しい作品を残しています。

スーラが彼らと決定的に違うところは、やはり「点描画」という表現方法にたどり着いたことでしょう。

では、スーラがなぜ点描画にたどり着くことになったか、その根拠となるもう1つの色彩理論をご紹介しましょう。

ちょこっとご紹介!色彩理論:「視覚混合

スーラが点描画に至った理由を紐解くキーワード、それは「視覚混合」という色彩理論です。また新しい言葉が出てきましたが、難しくはないですよ。

これは簡単に言ってしまうと、パレットの上で色を混ぜ合わせて作らずに、人が鑑賞したときにその色に感じられるようにする、ということです。人間の「視覚」で色を「混ぜ合わせ」て、「視覚混合」ということですね。

さっきの紫の例で言うなら、赤と青の絵具を混ぜて紫を作らずに、赤と青の色を細かく数多く並べてその全体のバランスで遠くから見たときに紫色に感じるようにすることが「視覚混合」です。

スーラは、色を混ぜて使わずに、この「視覚混合」の効果を狙いました。

なぜスーラはパレットで色を混ぜ合わせるのを避けたのか?

それは、色が暗くなってしまうからです。

みなさんは学生のときに美術の授業で教わった「光の三原色」と「色の三原色」を覚えていますか?

そのときに教わったことに、光は重ねれば重ねるほど白く明るくなっていきますが、色は混ぜれば混ぜるほど黒く濁っていく、というものがあるかと思います。

スーラは、この「色を混ぜると濁ってしまう」というのを避けたかったんですね。混ぜて作った色を見た鑑賞者は「濁っているな~」と感じてしまうので、スーラは現実の光の明るさをキャンバスで再現するために、「視覚混合」をおこなう方法を考えました。そしてたどり着いた方法こそが、まさに「点描画」だったのです。

 

ジョルジュ・スーラという寡黙な研究者は、人間が知覚する色をそのまま描くことを科学的に追究しました。そして、人間が光を知覚するメカニズムを再現するために、点描画をおこなったのです。

絵画の鑑賞は、本来このような知識が無くても充分楽しめるものだと思います。スーラの描いた点描画を見て、その柔らかい表現に温かい気持ちになる人もきっと多いことでしょう。ですが、このようにスーラがどういう理由で点描画へたどり着いたのか知っておくことで、絵画を見る視点が変化するかと思います。