ジョン・エヴァレット・ミレイ


プロフィール

生誕/死没

1829年~1896年

イギリス

代表作

両親の家のキリスト

画像_ジョン・エヴァレット・ミレイ「両親の家のキリスト」

徹底して写実的に聖母やイエスを描いたことで、ロイヤル・アカデミーから痛烈な批判を受けた作品。

オフィーリア

画像_ジョン・エヴァレット・ミレイ「オフィーリア」

ミレイだけでなく、ヴィクトリア朝の最高傑作とも言われる作品。両親の家のキリストと違い、こちらはロイヤル・アカデミーで絶賛された作品です。

盲目の少女

画像_ジョン・エヴァレット・ミレイ「盲目の少女」

通常、盲目の人をモチーフとして描くときは教訓的な要素を入れ、悲しげに描くものでしたが、ミレイはそれをやめ、ありのまま美しく描きあげました。

プロフィール

生まれや環境

イングランド南部のサウサンプトンで馬具の製造販売業者の子として生まれたミレイですが、若い頃から画家としての才能を開花させます。

史上最年少でロイヤル・アカデミー付属美術学校に入学しました。このときミレイは11歳です。そして、16歳のときにはロイヤル・アカデミー年次展で入賞を果たします。

ですがミレイは、ロイヤル・アカデミーに一緒に通っていたウィリアム・ホルマン・ハント、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティらと共に、ふつふつとロイヤル・アカデミーへの不満を募らせていました。それは、ロイヤル・アカデミーという場所が100年前に創立して以来ずっと変わらない教育方針や教育方法をとっていることに疑問を持っていたからでした。

そんな反発心を持っている彼らは1848年にラファエル前派を起ち上げました。そのラファエル前派の活動及び、その当時のミレイに思想的な方向付けをおこなったのが、ジョン・ラスキンという批評家でした。ラスキンの「芸術は自然に忠実でなければならない」という主張は、そのままラファエル前派の目指すべきものとして定着しました。

妻をめぐる昼ドラ展開

ジョン・エヴァレット・ミレイの妻となったユーフィミア(通称、エフィー・グレイ)は、実はもともとミレイたちラファエル前派を応援した批評家、ジョン・ラスキンの妻でした。

エフィー・グレイは、ミレイと親交を持ち、彼の絵のモデルを務めるなどしていく中で、強くミレイに惹かれていきます。

そしてついにエフィー・は、「夫ジョン・ラスキンの身体的問題によって婚姻状態はそもそもなかったも同然!」と主張し、婚姻は無効であると訴訟ををおこないました。

(逸話ですが、ラスキンは妻との初夜に、初めて女性の陰毛を見たことで衝撃を受けて、性的に不能になってしまったようです…。あくまで逸話ですよ。)

そして離婚が成立してすぐ、エフィーはミレイと再婚したのでした。

妻が夫を捨てるというのは、当時としては異例のことで、ミレイとエフィーは世間から非難されました。ミレイを寵愛していたヴィクトリア女王でさえも、エフィーに関しては「会いたくない!」と言いました。
ですが、それでもミレイはエフィーへの愛を貫き、エフィーもまたミレイを愛し続けました。

そして時は流れ、ミレイはロイヤル・アカデミーの会長に選出されます。ですが、それからまもなくミレイは病床に伏しました。ヴィクトリア女王がミレイに「最期に何か出来ることはないか?」と聞いたところ、ミレイは「エフィーの謁見を許してください」と返答し、ついにヴィクトリア女王はミレイの妻エフィー・グレイの謁見を赦しました。その1年後、エフィーはミレイを追うように亡くなったそうです。

ラファエル前派の解体

1852年にロイヤル・アカデミー展で発表した「オフィーリア」が大ヒットし、批評家たちは絶賛しました。結果、ミレイはロイヤル・アカデミー準会員となりました。しかし、元々ロイヤル・アカデミーの旧態依然とした体制に反発をしていたラファエル前派のメンバーでもあったミレイは複雑な心情でした。また、ミレイはその後にエフィーとの間に8人の子どもをもうけ養わなければならなかったこともあり、体制に反対して理想の絵画を追究し続ける活動に疑問を持ち始めていたようです。

結局、「この芸術活動の方針は違うな…」って思い離れだしたのと、残りの2人のラファエル前派創設メンバー、ハントとロセッティがモデルに対する私情のもつれで険悪になったことによって、ラファエル前派はあっさり分散していきました。

なお、ラファエル前派解散後のミレイは、その後作品が当たらず酷評が続いて名声が失墜しかけた経験も経て、最終的には大衆の好みを反映した作品を積極的に描くようになりました。

作風

初期はストイックに”あるがまま”を追求

ジョン・エヴァレット・ミレイの初期の頃というと、ラファエル前派を結成し、オフィーリアが絶賛された頃です。

この頃の絵はとんでもなく繊細で丁寧な描き方をしており、その真摯にあるがままの姿と向き合う姿勢に誠実さを感じます。また、あるがまま写実的に描くだけでなく、これまでの聖人や聖母マリア、イエスなどを神々しく理想化して描く絵画のスタンダードへの反発を露わにしました。

その結果酷評された作品が、「両親の家のキリスト」でした。この絵を描くときは、イエスの人間の父である大工ヨセフの体つきは実際の大工をモデルにして描いたり、聖母マリアに至っては幼いイエスに接吻される瞬間のおでこにできたシワまで完璧に描いています。

この理想化を拒絶した徹底したリアリティーの追求がミレイらしさと言えるでしょう。

また、その丁寧さによって紡ぎだされる柔らかい雰囲気や暖かさの漂う色合いに心奪われ、ミレイの絵のファンになった方もきっと多いことでしょう。私もやはりオフィーリアなどの初期の大作を見て強い感銘を受けました。

後期は一般受け狙いで成功したけれども…?

後期は家族を養うために画業をおこなっていたこともあり、世の中で受けるような描き方を意識的におこなっていたようです。

以前のように自らが目指すあるべき絵画の姿を追い求めず、制作の時間を減らすことなどに注力し始めます。個人的にはそれをとても悲しく感じました。というのも、生活のためにストイックさを失ったことで絵の魅力が失われたように感じたからです。

確かに大衆に迎合したことで、一度失いかけた画家としての名声を取り戻したのかもしれません、ですが、現代まで残り続け、今もなお見るものを魅了しているのは、初期の作品ばかりです。家長として画業によって賃金を得る必要があったことは気持ちとしては理解できますが、やはり一鑑賞者、一ファンとしてはストイックに突き詰めた絵を描き続けて欲しかったですね。