バルトロメ・エステバン・ムリーリョ


プロフィール

生誕/死没

1617年~1682年

スペイン

代表作

無原罪の御宿り

画像_バルトロメ・エステバン・ムリーリョ「無原罪の御宿り」

幻想的な雰囲気の中、天から降りてくる聖母マリア。

乞食の少年(蚤をとる少年)

画像_バルトロメ・エステバン・ムリーリョ「蚤をとる少年」

日本ではこの作品が有名なのではないでしょうか。ムリーリョは宗教画以外にも、このようなリアリティー溢れる風俗画を描きました。

聖母子

画像_バルトロメ・エステバン・ムリーリョ「聖母子」

聖母マリアと幼児イエスを描いていながら、どことなく庶民的な雰囲気の漂うところに、親しみやすさを感じますね。

プロフィール

生まれや環境

バルトロメ・エステバン・ムリーリョが生まれたのはスペインのセビリアという街でした。14人兄弟の末っ子として生まれ、幼い頃に両親が亡くなり、叔父と叔母に育てられたこと以外は、幼少期の頃のことがあまりよく分かっていません。ただ、この叔父が芸術家だったことが少なからずムリーリョに影響を与えたのでしょう。

若い頃のムリーリョは、セビリアで既に活躍していたフランシスコ・デ・スルバランら先輩画家たちの影響を受け、非常に宗教的で硬さのある絵画を描いていました。

ですが、26歳の頃にマドリードへ移動したことで様々な他の芸術を吸収していったと考えられています。ムリーリョは、当時のスペイン国王フェリペ4世の寵愛され宮廷画家として活躍していた先輩画家ディエゴ・ベラスケスの影響を受けるとともに、ルネサンス期のヴェネツィア絵画などの色彩豊かな絵画からも多くのものを得たようです。

マドリードにいた頃はスルバラン、ベラスケスなどの巨匠から学んだリアリズムを反映させた絵画を数多く残しています。代表作である「乞食の少年(通称、蚤をとる少年)」は、この頃の作品ですね。

その後、故郷のセルビアへ戻ってからも精力的に作品を作っていきます。ムリーリョは多作な画家であったようで、ムリーリョの作品と考えられている絵画は300点にも上ります。

スティロ・バポローソで更なる躍進を

壮年時代、既に名声を得ていたムリーリョでしたが、1670年頃から新しい画風にチャレンジしていきます。スティロ・バポローソと呼ばれるそれは、薄もやの様式とも言われる、画面全体がふわ~っとした「もや」で覆われているような描き方です。

ムリーリョはこの描き方で更なる名声を得ることとなります。スティロ・バポローソで描かれた代表作「無原罪の御宿り」が大衆に大絶賛されるなど、ムリーリョはセビリアの先輩画家であるスルバランを超えるほどの人気となりました。

ムリーリョが、スティロ・バポローソという革新的な描き方を生み出したことで、結果として、ルネサンス期以来ずっと芸術の潮流の中心にあったイタリアをしのぐほどに、スペインの芸術の地位を押し上げることとなりました。また、スティロ・バポローソはその幻想的で甘ったるい雰囲気から、バロック美術の後の美術様式であるロココ美術を先取りしている手法であるとも言われています。

このようにムリーリョは、後年から晩年にかけても筆を止めることなく精力的に作品を作り続け、それは、セビリアの修道院で制作中に足場から落ちたときの怪我が原因で亡くなるまで続けられました。

子どもを数多く描いた画家

代表作として挙げた「乞食の少年(通称、蚤をとる少年)」もそうですが、ムリーリョは子どもの絵を数多く残しているのが印象的です。

ムリーリョは奥さんとの間に生涯で11人の子どもをもうけましたが、そのうちの5人を当時流行っていたペスト(黒死病)などで亡くしています。子どもに関する不幸が続く中、生まれつき耳が聴こえないながらも無事に成長していった6番目の娘を想い、「無原罪の御宿り」を何枚も制作したとも言われています。

こういう背景を知った上で改めてムリーリョの絵を見てみると、写実的に描かれた風俗画のモチーフとしての子どもたちもそうですが、「無原罪の御宿り」に描かれた幼児の姿をした天使たちも、どこか優しげで慈しみに満ちた姿に見えることでしょう。

作風

ベラスケスに勝るとも劣らない瞬間をとらえる力

バルトロメ・エステバン・ムリーリョのプライベートについては多くが謎に包まれていますが、作品は300点近くが確認されており、多作な作家であったことは言うまでもありません。その画家人生の初期~後期までは、筆致を残しつつも的確に人物をとらえた絵画が目立ちます。

代表作である乞食の少年(通称、蚤をとる少年)などは、まさにその一瞬のリアリズムを表現した作品でしょう。ムリーリョの作品のほとんどはキリスト教を主題とした宗教画でしたが、乞食の少年のように風俗画も描いており、それらはどれもムリーリョが卓越した描写力を持つ画家であることを証明しています。

ムリーリョの描写力は、しばしば同郷で20歳ほど年上の画家だったディエゴ・ベラスケスと比べられます。ベラスケスは、後年、印象派の先駆けとなったエドゥアール・マネが「画家の中の画家」と呼んだほど、大胆な筆致から繰り出される一瞬をとらえる技量を評価された画家でしたが、ムリーリョもベラスケスに負けないほどの高い技量を持っていると私は思います。

そしてムリーリョは既に述べてきたとおり、スティロ・バポローソという新しい技法を取り入れることで、一瞬間の表情や動きをとらえる筆さばきに、柔らかな幻想性まで取り入れてしまった点で、さらに独自の魅力を持った画家であると思います。

「無原罪の御宿り」が十八番

ムリーリョが何度も描いた主題がこの「無原罪の御宿り」です。今回代表作として挙げたのも、その中の1枚です。では、ちょっと「無原罪の御宿り」という主題が、キリスト教的にどういった主題なのか掘り下げてみましょう。

まず旧約聖書で描かれた「原罪」についてですが、これは神によって作られた最初の人類、アダムとイヴが犯した罪のことですね。(掘り下げるとどこまでも行ってしまうので、ある程度は端折ります。)

この「原罪」によって、アダムとその後生まれた男たちは汗水垂らして働いて食べていかなくてはならなくなり、また、イヴとその後生まれた女たちは産みの苦しみと夫からの支配から逃れられなくなったのです。

当時のカトリック教会のキリスト教徒たちにとって、イエス・キリストこそが、人間がみな一様に背負っているこの「原罪」から救い出してくれる存在なので、イエス・キリストを「神の子」として神聖視しています。(あくまで、ざっくりとご説明するとそんな感じ、ということで。)

イエスは「原罪」から人々を救い出す存在なので、「原罪」を免れている前提です。ですが、その母である聖母マリアは?となったとき、カトリック教会は、聖母マリアも「原罪」から免れているべきだ、と考えました。そこで、聖母マリアが男女の交わり無しにイエス・キリストを身ごもったように、マリアの母、聖アンナもまた、男女の交わり無しにマリアを身ごもった、という解釈をしました。

この、「聖アンナもマリアを処女懐胎した」という解釈を人々に浸透させるために描かれた主題が、この「無原罪の御宿り」なのです。

ムリーリョは何度もこの主題を描きましたが、「無原罪の御宿り」を描くために、下向きの三日月や、青いマントを身にまとった聖母マリア、そして天使たち…、といった必要最低限の要素のみを分かりやすく取り入れ、絵画を通じて人々に伝えたのでした。