フェルナン・クノップフ


プロフィール

生誕/死没

1858年~1921年

ベルギー

代表作

愛撫

画像_フェルナン・クノップフ「スフィンクスの愛撫」

フェルナン・クノップフの最高傑作であり、ベルギー象徴主義の最高傑作でもある本作。人間の頭に豹の身体、そして中性的な人物…、と不思議な印象のある絵ですね。

女性の頭部

画像_フェルナン・クノップフ「女性の頭部」

妹のマルグリットに異常なほど執着していたクノップフは生涯、妹をモデルに描き続けました。

私は私自身に対してドアを閉ざす

画像_フェルナン・クノップフ「私は私自身に対してドアを閉ざす」

最愛の妹が結婚し、失意のどん底で描いた作品。死の象徴的なモチーフが散りばめられた絵です。

プロフィール

生まれや環境

ベルギーの名家に生まれたフェルナン・クノップフ。彼の家系の男子は代々法律家か判事になることが決められていました。なお、父親も判事だったようです。

クノップフもそのつもりでブリュッセルの大学へ進学、法律を学んでいました。しかし、そのときに文学の面白さを知り、彼は次第に文学へ傾倒していきます。クノップフが傾倒した文学者の中には、当時活躍していたフランス国籍で象徴主義の詩人シャルル・ボードレールなどもおりました。

男子は代々法律家か判事、という家系に生まれながら、クノップフは文学から徐々に絵画へ、そしてクノップフの弟も詩作や音楽へと傾倒していました。そこで、クノップフ兄弟と他数名で「若きベルギー」というグループを起ち上げます。

と、まぁそんなことをしているわけですから、法律の勉強にも身が入らず、やがて飽きてしまったクノップフは大学を辞め、象徴主義の美術家の元を出入りするようになります。そして彼は1876年にブリュッセル王立芸術アカデミーへ入学すると、ついに本格的に絵画の勉強を始めます。また、在学中に何度かパリを訪れ、そこでウジェーヌ・ドラクロワやドミニク・アングルといったロマン主義や新古典主義の画家たちの作品に感銘を受けるとともに、クノップフにもっとも強い影響を与えているとされている象徴主義の先駆け的画家、ギュスターヴ・モローの作品に出会います。

1880年代に入り作品を発表し始めると、ベルギーの画家や彫刻家たちで立ち上げたグループ「20人展」の設立メンバーとなります。また、クノップフはその年次展でコンスタントに作品を発表するようになりました。

この頃にフランスの著述家で中世から続く秘密結社「薔薇十字団」の団長を務めていた「ジョゼファン・ペラダン」と知り合いになります。ペラダンから彼の著作のカバーデザインを依頼されますが、クノップフが描いた架空の女性の絵が、当時の人気歌手ローズ・カロンに似ていることにローズ本人から怒ったことで、クノップフのカバーデザインは白紙となってしまいます。このスキャンダラスな事件はクノップフの仕事を奪った代わりに、世の中のフェルナン・クノップフという画家への注目度が一気に増しました。(もしもこれが狙ってやっていたとしたら、今で言う”炎上商法”ですね…。笑 真相は分かりませんが。)

画家としての活動の後期に差し掛かると、クノップフはイングランドのラファエル前派界隈の画家らと交流を持つようになります。さらに第一回分離派展に出展し賞賛されたことで、ウィーン分離派の画家たちにも近付きます。日本でも人気の画家、グスタフ・クリムトはこのときの展示をきっかけにクノップフの影響を強く受けたと言われています。確かに、代表作の一つとして紹介した「女性の頭部」などは、クリムトの絵と似た雰囲気がありますよね。

キワモノの文化人「ジョゼファン・ペラダン」

秘密結社・薔薇十字団の当時の団長であったジョゼファン・ペラダンは、若い頃からオカルトに興味を示し、多くの書物を読んで知性を研ぎ澄ませていきました。若い頃のイタリア旅行でレオナルド・ダ=ヴィンチの絵に出会い、ダ=ヴィンチの描く中性的な人物たちに啓示を受けます。

結果、「性別なんていらない!プラトンが饗宴で書いた人間の原始の姿、両性具有のアンドロギュノスこそ至高!」という思想を持ち始め、ラテンの物質的な文化を否定し、新しい価値観を創造しようと努めました。1892年にはペラダン主催で「薔薇十字展」を開催し、クノップフはそこに参加しました。

神秘主義的でかなりオカルティックな思想の持ち主だったわけですが、彼が文学や芸術の世界でアグレッシブに動きまわったことで、象徴主義の興隆に大きく貢献しました。

クノップフもペラダンの影響で中性的な人物像や象徴主義特有の幻想的な世界観に傾倒した一人なので、ジョゼファン・ペラダンという人物に出会わなかったら、象徴主義の画家として大成することもなかったのかもしれません。

作風

妹が大好き過ぎ!もはや変態と言っても過言ではない

私もこのようなWebサイトを運営しているくらいなので、できれば全ての画家に対して公平な書き方をしたいものです。ですが、ちょっとフェルナン・クノップフに関しては言わせてください。…どう考えても彼は変態です。笑

というのも、彼は自身の実の妹であるマルグリットに並々ならぬ執着を見せています。まず代表作の「愛撫」ですが、この中性的な人物のモデルはマルグリットではないかと言われています。また、その人物に頬ずりをする半人半豹の存在、これもマルグリットがモデルでないかと言われています。

代表作では紹介しておりませんが、彼の「思い出」という作品。こちらは何人かの女性が屋外で話したり歩いたりしている様子を描いたものです。はい、これ全て妹のマルグリットがモデルです。どうやって描いたか?それは、マルグリットを立たせては写真を撮り、着替えさせて違う位置に立たせては写真を撮り、また着替えさせて場所を変え…と繰り返して素材を確保しています。

実は、依頼などでモデルが決まっていた作品以外は、ほぼ全て妹のマルグリットをモデルにして描いていると言われています。筋金入りのシスコンですね。

そのマルグリットが嫁いでしまったことを悲嘆して描いたのが代表作にも挙げた「私は私自身に対してドアを閉ざす」という作品です。こちらは手前の黒い布のようなものが棺桶を表していると言われていたり、女性の背後にある頭像はギリシャ神話の眠りの神ヒュプノスと言われています。死の眠りを人々に与えるのも神・ヒュプノスのお仕事なので、この絵は象徴的に死の臭いが漂っている絵なのです。なお、この作品は、妹のマルグリットがモデルではないと言われています。

あくまで「そうかもしれない」という推理でしかないですが、もしかするとクノップフは、妹が嫁に行ったというイベントにあまりにも大きな衝撃を受けて、長い間自らを重ねあわせて偏愛していた妹を、象徴的に葬り去ろうとしていたのかもしれません。とはいえ、この絵の発表後もマルグリットをモデルにし続けているので、葬り去れていないようですが。

ただ、最後にフェルナン・クノップフという画家をフォローいたしますと、彼はとても穏やかで紳士的な人物であったらしいです。その穏やかな内向性が、彼の幻想的な作風へと繋がっているとも言えるのでしょう。