リチャード・ダッド


プロフィール

生誕/死没

1817年~1886年

イギリス

代表作

お伽の樵の入神の一撃

画像_リチャード・ダッド「お伽の樵の入神の一撃」

リチャード・ダッドの代表作はほぼこの一点、といっても過言ではないでしょう。独特なアウトサイダーアート的な魅力があります。

バッカス祭の情景

画像_リチャード・ダッド「バッカス祭の情景」

視線が極めて印象的な絵画。この絵の印象が強く、リチャード・ダッドを知っている方も多いのではないでしょうか。

対立・オベロンとティターニア

画像_リチャード・ダッド「対立・オベロンとティターニア」

細部を見ていくと整合性のとれていないアンバランスな感覚を受けると思いますが、そこがダッドの作品らしさと言えるでしょう。

プロフィール

生まれや環境

リチャード・ダッドはイギリス南東のチャタムという町で生まれました。若い頃から絵画の才能を発揮したダッドは20歳で入学したロイヤルアカデミー美術学校の、初年度の展示でいきなり作品が絶賛されます。批評家たちはこぞってダッドを有望な若手画家であると評価しました。

ロイヤルアカデミーで絶賛されるということは、日本で言うならば東京藝術大学でトップクラスの成績を修め、藝術家としての将来を約束されているような状態であり、エリート画家と言って差し支えないものです。

このときのダッドはきっと、その数年後に自身の人生を全て決めてしまう転機が訪れようとは思ってもいなかったことでしょう。

最初の兆候

リチャード・ダッドに異変が訪れたのは、画家としてデビューし、弁護士の旅行に同伴して絵を描く仕事をしている最中のことでした。旅行先はヨーロッパや中東で、仕事として絵を描きながら有意義な時を過ごしているはずでした。

ですが、旅行中にダッドは精神に変調をきたします。「私はオシリスの使者だ!」「悪魔に憑かれている者を殺さねばならない」など、おかしな発言をしだすようになります。最初のうちは日射病の所為だと思われていたようですが、どんどん悪化していきます。

妄想の果てに

旅行から帰ってきてからも、妄想にとりつかれたままだったので、家族はダッドに療養を勧めました。そして彼がイギリスの実家近くの町で療養を開始したその年、ついに悲劇が訪れます。

公園を一緒に歩いいていた父親をナイフで刺し殺してしまったのです。ダッドはそのままフランスのパリへ逃亡し、そこでもその場にいた観光客を殺そうとして捕まってしまいます。

いずれも理由は、人間の中にいる悪魔を殺すため、とのことで、この誇大妄想的な言動や突飛な行動から、きっと統合失調症か何かを患っていたのだろうと思います。

逮捕されたものの正常な思考がおこなえなくなっていたダッドは、一度フランスの精神病院に収容された後、イギリスの精神病院「王立ベスレム病院(ベドレム)」へ移りました。その後症状が良くなることはなく、収容人数が増えすぎて別の病院へ転院するまで、そこで20年間過ごします。主な代表作は、ベドレムにいたときに描かれたようです。

ダッドは68歳で亡くなるのですが、人生の半分以上、実に40年もの間を、精神病院で過ごしたのでした。

作風

アウトサイダーアート?

ダッドは人生のほとんどを精神的に不安定な状態で過ごしました。しばしば、そんなリチャード・ダッドのことを「アウトサイダーアート」だと言う方もいらっしゃいます。

しかし、アウトサイダーアートという言葉が生まれるのは、ダッドが亡くなってから50年ほど後のことなので、その点ではダッドの作品はアウトサイダーアートではないでしょう。

アウトサイダーアートという言葉は、最初、20世紀のフランスの画家ジャン・デュビュッフェが定義した「アール・ブリュット(生の芸術)」を英語に訳したものです。

ジャン・デュビュッフェによれば、「アール・ブリュット(生の芸術)は、芸術的訓練や芸術家として受け入れた知識に汚されていない、古典芸術や流行のパターンを借りるのでない、創造性の源泉からほとばしる真に自発的な表現」とのことです。

アール・ブリュット、すなわちアウトサイダーアートは広い意味でとらえると、過去の芸術を参照したりせず独自の創造性を発揮した芸術の全てがアウトサイダー・アートとなります。

(アウトサイダーアートと聞くと、知的障害者や精神疾患者による芸術、という印象がある方もいらっしゃるでしょうが、実はそれはとても狭い意味でのアウトサイダーアートなのです。)

もしも、リチャード・ダッドがジャン・デュビュッフェと同時代の画家であったならば、きっとデュビュッフェはダッドの作品を見て、「アール・ブリュット(生の芸術)」であると感じたのではないか、と思います。

執拗なほどに脈絡なくぎっちりと

先に「ダッドの作品がアウトサイダーアートであるかどうか」という話を持ってきてしまい、順序が逆になってしまいましたが、何故リチャード・ダッドの作品が「アウトサイダーアート的である」とされるのか、ちょっと見てみましょう。

まずダッドの絵画の最大の特徴は、脈絡なく詰め込まれる細密なモチーフにあるでしょう。時に大胆に、時に繊細に、画面の中を自由に埋め尽くしていきます。

元々アカデミックな絵画を学んでおり、精神疾患にかかる前までは確かな技術力でもって正統派の画家として歩みを進めていたダッドなので、モチーフ1つ1つの描写はとても素晴らしいもので、完成度の高さを感じます。

他の追随を許さない偏執的な描き込みと優れた描写力、このギャップがダッドの絵の魅力でしょう。

代表作であり、最高傑作と言われている「お伽の樵の入神の一撃」は、実はとてもサイズの小さい絵です。キャンバスのサイズは、54 cm × 39.5 cmであり、そこに油彩でぎっちりと描き込んだのでした。

この小さい領域にここまでの情報量の絵が描かれたのかと思うと、それも驚きですね。

また、「お伽の樵の入神の一撃」は、かの有名なロックバンド、クイーンが楽曲のモチーフにした上で、絵のタイトルをそのまま曲名にした経緯があり、このことからリチャード・ダッドを知るようになった方が、もしかするといらっしゃるのかもしれません。

※ちなみに、クイーンがこの絵をモチーフにして作成した曲の、日本語タイトルは「フェアリー・フェラーの神技」です。