今回は、飛鳥時代の美術について解説するわね。
飛鳥時代というと、聖徳太子が活躍した時代だよな!
飛鳥時代の美術の代表作は?
それでは、まず飛鳥時代の美術の代表作を紹介するわね。
作者不明「木造菩薩半跏像」
7世紀/中宮寺
参照:本尊 – 聖徳宗 中宮寺 公式ホームページ
仏像がたくさん!
飛鳥時代の美術の特徴は?
では、飛鳥時代の美術の特徴を解説していくわね。
見るからに仏教がキーワードになりそうだな〜!
仏教美術の始まり
歌琳さんの言うとおり、飛鳥時代の美術は仏教の伝来が深く関わっているわ。
おお!やっぱりな!
国家としての基盤ができてきた6世紀ごろの日本は、中国大陸や朝鮮半島と積極的に交易をおこなったわ。
その折に、仏教も伝わってきたと言われているの。
日本人は外からやってきた仏教を受け入れたのか?
どの程度の賛否があったのかは分からないけど、豪族(※)たちの中には仏教を積極的に受け入れる者もいたわ。
※豪族:国家の中の特定の地域を支配し、大きな権力を持つ一族。
代表的な豪族で言うと、蘇我氏がそうね。
蘇我馬子とかだよな!
学校の歴史の授業で習ったことあるぜ!
そうね♪
その蘇我馬子は、588年に百済(※)からやってきた技術者を集めて、日本最初の寺院である「飛鳥寺(法興寺)」を創建しているわ。
※百済:朝鮮半島の南西部に、4世紀前半から660年まで存在した国。
現在の飛鳥寺の様子。
創建された場所から移転されているため、創建当時の建築ではない。
参照:飛鳥寺 – Wikipedia
日本初のお寺を作ったのか!
あれ?
もしかして飛鳥時代の飛鳥ってこの飛鳥寺から……?
歌琳さん、残念!
飛鳥時代も飛鳥寺も、「飛鳥」という地名から来ているのよ。
当時飛鳥と呼ばれていた土地は、現在の奈良県高市郡明日香村の辺りね。
地名だったんだな!
……あ、そういえば蘇我馬子で思い出したけど、蘇我馬子と一緒に政治をおこなった聖徳太子も仏教を積極的に取り入れていたよな!
そうね。
聖徳太子は遣隋使を派遣して、積極的に隋(中国)の文化や制度を取り入れたわ。
ちなみに、聖徳太子が活躍したころ(6世紀末から7世紀前半)には、すでに46の寺院ができていたと言われているの。
ものの数十年で……!
すごいな〜!
寺院がたくさん生まれたことで、寺院に安置する仏像も数多く作られるようになったのよ。
だから、飛鳥時代の美術はほぼ仏像の美術と言ってもいいわね。
なるほどな〜。
厳格で堅さのある仏像が主流
当時の日本にとって仏教は外来のもので、仏像を彫る技術も外来のものだったわ。
だから、最初期に日本で仏像を彫った技術者たちはみんな渡来人(※)だったの。
※渡来人:中国大陸や朝鮮半島から日本へ渡ってきた人々。
そうなると、日本独自のものというより、最初は中国や朝鮮で作られているものを真似たものが多かったんだろうな!
そんな中、中国や朝鮮の仏像のスタイルを踏襲しつつ、独自のスタイルを築き上げた仏師(※)がいたわ。
鞍作止利(くらつくりのとり)という人物よ。
※仏師:仏像を専門とする彫刻家。
代表作の「法隆寺金堂釈迦三尊像」が止利の作品だな!
鞍作止利の代表作「法隆寺金堂釈迦三尊像」。
参照:仏像 – 金堂 | 聖徳宗総本山 法隆寺
止利は渡来人を祖先に持つ仏師で、推古天皇から任命されて仏像制作をおこなっていたわ。
天皇から任命されるとか、すげぇな〜。
そんな止利の仏像の作風を「止利様式」と呼ぶわ。
止利様式はどんな特徴があるんだ?
大きな特徴としては三つあるわ。
まず一つ目は「アルカイック・スマイル」よ。
鞍作止利の代表作「飛鳥大仏」。
口元だけを隠すと真顔だが、逆に鼻から上を隠して口元だけを見るとわずかに微笑んでいる。
参照:飛鳥大仏を大阪大が調査 造立時の部分特定へ – サッと見ニュース – 産経フォト
あれ?
アルカイック・スマイルって古代ギリシャの彫刻に見られる、口元だけが微笑んでいる表現だよな?
ギリシャ彫刻に見られるアルカイック・スマイルの例。
参照:Kouros of Tenea – Wikipedia
そのとおりね♪
アルカイック・スマイルは、ギリシャからシルクロードを通って中国に伝わったと言われているの。
ただ、直接的に伝承されたわけではなく、あくまで間接的によ。
静止した仏像にいかに生命を吹きこむか考えた結果、古代ギリシャ彫刻と同様にアルカイック・スマイルを採用したということでしょうね。
こんなところで西洋美術史と繋がるなんて面白いな〜!
そして、止利様式の特徴二つ目は、「左右対称」よ。
……うーん、確かに左右対称ではあるけど、仏像ってみんなこんな感じじゃなかったっけ?笑
普段、そんなに仏像を見ていなかったら分からないかもしれないわね。笑
後世の仏像を比較すると、結構分かりやすいと思うわ。
確かに、こっちの方がカチッとした左右対称ではないけど、そのおかげでリアリティーがあるな!
最後、止利様式三つ目の特徴は、「奥行きの無さ」よ。
お……?
どういうことだ?
多くの人がイメージする一般的な仏像って、どの角度からでも鑑賞できるものだと思うの。
平安時代に作られた「阿弥陀如来坐像」を横から見た姿。
左右や後ろから見られることも考慮してしっかりと作られている。
でも、止利様式の仏像はそもそも正面から拝する前提で作られていたので、横側から見ると奥行きが無く、背面まで作りこまれていないのが分かるわ。
釈迦三尊像のレプリカ。
前面にしか螺髪(くるくるの髪の毛)が無いのが分かる。
参照:法隆寺釈迦三尊像のクローンが語る歴史 : 地図を楽しむ・古代史の謎
釈迦三尊像のレプリカ。
脇侍(※)に至っては前面しか作られておらず、言い方はあれだがハリボテ感がある。
参照:法隆寺釈迦三尊像のクローンが語る歴史 : 地図を楽しむ・古代史の謎
※脇侍:信仰の中心となる仏の左右に控える菩薩や明王、天などのこと。
は、ハリボテじゃねぇか……?!
飛鳥時代の仏像の大きな特徴は今紹介した三つ。
でも他にも、目の形が「杏仁形(きょうにんぎょう)」であったり、
上瞼と下瞼が似た形の弧を描いている、杏仁形(アーモンド形)の目。
参照:(2) 美しい日本の仏像さんはTwitterを使っています 「【奈良・法隆寺金堂/釈迦三尊像(623年)】像高86cm。中尊である釈迦如来像の召されている厚手の服制や山形に流れる裳懸け、面長な顔付きや杏仁形の眼や古式の笑みを浮かべた唇等が飛鳥時代の彫刻の特色とされている。
衣服のしわが抽象的であったりするわね。
立体感が無く、ただ線が入っているだけの抽象的な衣服のしわ。
参照:法隆寺物語(8)~宝物のはなし2 | よしやんのブログ
要するに、後世の仏像と比べると表現に堅さがあってリアリティーが無いんだな!
そうね。
でもだからこそ、止利様式の仏像は厳かな雰囲気を表現できているとも言えるわね。
柔和で優しげな仏像の登場
飛鳥時代は止利様式が中心だったという話をしたけど、それが続いたのは大化の改新(645年)のころまで(※)だったのよ。
※最近では、彫刻の様式的に、白村江の戦い(663年)や法隆寺焼亡(670年)などを区切りとする説もある。
あれ?
じゃあ、そこから710年に始まる奈良時代まではどんな感じだったんだ?
政治史だと710年を境に飛鳥時代から奈良時代へ移るけど、美術史だと大化の改新から8世紀半ばくらいまでを「奈良時代前期(白鳳時代)」として扱うの。
そっか、政治史と美術史では区分が違うこともあるもんな!
そういうことね。
で、大化の改新のころから止利様式の仏像が作られなくなったのは、主に二つの理由があるわ。
まず一つは、大化の改新で蘇我氏が滅亡したことよ。
どうして蘇我氏が滅亡したら、止利様式の仏像が作られなくなったんだ?
止利は蘇我氏と密接な関係がある仏師だったの。
大化の改新という革命が起こって、蘇我氏が滅亡したことで止利様式の仏像が作られなくなったと言われているわ。
なるほどな〜。
もう一つは、大陸から新しい仏像のスタイルが伝わったことね。
おお!
どんなスタイルだ?
止利様式とは逆をいく、柔和で優しげなスタイルの仏像よ。
代表作の「百済観音像」と「木造菩薩半跏像」がまさにニュータイプの仏像だったわ。
木造菩薩半跏像。
止利様式の特徴である、左右対称性や衣服のしわの抽象性は感じられない。
参照:本尊 – 聖徳宗 中宮寺 公式ホームページ
木造菩薩半跏像はポーズが複雑で、明らかに止利様式とは別物って感じがするぜ!
百済観音像はややリアリティーの無さを感じるけど、それでも止利様式と比べたら人体のしなやかさが表現されているよな〜。
絵画や工芸品は少ない
飛鳥時代は多くの仏像が作られた一方で、絵画や工芸品などは少なかったわ。
この時代の工芸品として唯一有名なのが「玉虫厨子」ね。
玉虫厨子ってどういうものなんだ?
厨子とは、仏像や経典といった仏教における大切なものを納める箱のことよ。
玉虫厨子は、装飾にタマムシの翅(はね)があしらわれていたことからそう呼ばれているの。
1400年の時を経て復元された「平成の玉虫厨子」の部分拡大写真。
奥に見えている緑に光るものがタマムシの翅。
参照:SHISEIDO presents エコの作法 – 投稿 | Facebook
……うち、虫が苦手だからちょっと「ウッ」ってなったけど……、でも……、まぁ綺麗だな……ハハハ……。
(歌琳さん、無理しているわね。笑)
飛鳥時代の美術が見れる場所は?
飛鳥時代の美術を鑑賞できる場所はどこかあるのか?
飛鳥時代の美術は多くが仏像と寺院なので、博物館や美術館に所蔵されているのではなく、お寺に安置されていることが多いわ。
だから、多くの美術品が関西圏、とりわけ奈良県に集中しているわね。
なるほどな!
飛鳥時代に創建された寺院をいくつか紹介するわね。
移転や改称などが多いものは割愛するわ。
・飛鳥寺(法興寺)(奈良県高市郡明日香村)
※現在の建物は再建したもの
・法隆寺(斑鳩寺)(奈良県生駒郡斑鳩町)
※現在の建物は再建したもの
・中宮寺(奈良県生駒郡斑鳩町)
※現在の建物は移転したもの
・広隆寺(蜂岡寺、秦公寺)(京都府京都市右京区)
※現在の建物は移転したもの
・四天王寺(大阪府大阪市天王寺区)
※現在の建物は飛鳥建築の様式を再現し、再建したもの
代表作に上がっている仏像も、これらの寺院に安置されているものばかりだな!
もし、飛鳥時代の美術を現地へ行かずに鑑賞したいなら、ときどき開催される聖徳太子に関連した企画展へ行くのがいいかもしれないわ。
ただ、常設ではなくあくまで企画展示なので、タイミングを待つことにはなりそうね。