画家「サンドロ・ボッティチェッリ」を分かりやすく解説!

画家「サンドロ・ボッティチェッリ」を分かりやすく解説!

「サンドロ・ボッティチェッリ」ってどんな画家?

イタリア(フィレンツェ)
生没年1445年3月1日?〜1510年5月17日
絵画様式ルネサンス
代表作・ヴィーナスの誕生
・プリマヴェーラ(春)

「サンドロ・ボッティチェッリ」の代表作は?

サンドロ・ボッティチェッリ
「ヴィーナスの誕生」
サンドロ・ボッティチェッリ
「ヴィーナスの誕生」
サンドロ・ボッティチェッリ
「プリマヴェーラ(春)」

「サンドロ・ボッティチェッリ」は何がすごいの?

ルネサンスを代表する名画を描いた画家

これを言うとあれですが……、ボッティチェッリって、

作品は見たことあるけど作者は知らない部門 No.1

って感じするんですよね……。笑

なんと失礼な……!

ごめんなさい!笑

でも、ぶっちゃけ「作者名は知らなかった」という人多いんじゃないかな〜と思います。

なぜそんなことになってしまったか。

それは、様々な超人エピソードで著名なレオナルド・ダ・ヴィンチらと違い、画家本人のエピソードがそこまで無いというのが一つあるでしょう。

その一方で、作品自体はレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」、「最後の晩餐」やミケランジェロの「ダビデ像」、「最後の審判」に並ぶほど知られています。

それは、ボッティチェッリの作品が他のどの画家よりもルネサンスの代表と言える作品だからです。

レオナルド・ダ・ヴィンチよりもミケランジェロよりも、

ルネサンスの絵画って言ったらこれだよね!

と言える作品を作ったんです。

それが、誰もが一度は見かけたことのあるボッティチェッリの代表作「ヴィーナス誕生」「プリマヴェーラ(春)」です。

ちょっと待って、「ルネサンスを代表」って言われても、そもそもルネサンスがどんな感じか分からないよ!

という人もいるかと思うので、ざっくりとルネサンスについてご説明しましょう。

ルネサンスは簡単に言ってしまうと、

中世キリスト教世界によって失われてしまった古代ギリシャ・ローマの文化を復興しよう!

という動きです。

美術の世界においても、禁欲的でとても縛りが多かった中世キリスト教の美術に反発し、キリスト教以前の古代ギリシャ・ローマの美術をお手本にする動きが生まれます。

なので、ルネサンスの美術は、

  • キリスト教にとらわれない
  • 自然をよく観察しリアルに描く
  • 人間味あふれる表現で描く

といった特徴があります。

では、実際にボッティチェッリの代表作を見ていきましょうか。

まず「ヴィーナス誕生」

……ヴィーナスの裸体、理想化しすぎず俗っぽくしすぎずで絶妙なリアリティーではありませんか?

中世美術ではこのように生々しい裸体が描かれることはありませんでした。

今度は「プリマヴェーラ(春)」を見てみましょう。

この絵の最大の特徴は植物の描き込みです。

この1枚の絵の中には500種類以上の植物と190種類ほどの花々が描かれているんですね。

しかも、花々のうちの130種類は実在する花が描かれていて、特定もなされているそうです。

もちろんボッティチェッリ以外にも、同時期にまさにルネサンス的な絵画を描いていた画家はたくさんいました。

が、今日ボッティチェッリの作品がここまで評価されているのは、人体や植物の描写に見られる彼のハイレベルな技術があってこそと思います。

神話画という新ジャンルを開拓

先ほどは触れませんでしたが、ボッティチェッリの作品がルネサンスの代表的作品たりうる決定的な理由はもう一つあります。

それは、キリスト教ではなく神話をテーマにした絵を描いたこと

すでにお気付きの方もいるでしょうが、先ほど紹介した代表作の二枚も神話をテーマにした絵ですよね。

「ヴィーナス誕生」で描かれているヴィーナスはローマ神話の愛と美の女神

「プリマヴェーラ(春)」で描かれている人物たちは、ギリシャ神話やローマ神話に出てきます。

(キューピッドとか、パッと見で分かりますよね!)

キリスト教は良くも悪くもヨーロッパをキリスト教一色に染めました。

キリスト教一色になるということは、他の文化を受け入れないということでもあります。

その結果、中世ではギリシャ・ローマの神話の世界は異教とされたんですね。

なので、当然それを絵に描こうなんていう人はこれまでいませんでした。

ですが、教会の権威が弱まり徐々にルネサンスの兆しが見えてくると、ボッティチェッリのような画家が現れてきたわけです。

そういう意味では、ボッティチェッリは世の風潮をよく読み、先陣をきって新しい作品を仕上げた画家だったと言えるでしょうね。

世の風潮を読んで描く繊細さ

そう、ボッティチェッリは世の動きを見て時代を先に進めることができる画家の一人だったんですよね。

これは彼が小さい頃のエピソードになりますが、ボッティチェッリが住んでいた地域では土地台帳に家族の情報を書くことが義務付けられていたらしいんですね。

そこには、当時13歳だったボッティチェッリについて言及された箇所があり、

病弱 勉強中

と書かれているそうです。

た、確かに僕は病弱だったかもしれないけど、ストレートすぎやしないか?父さん……

というボッティチェッリの嘆きが聞こえて来そうですね。笑

でも実際、彼は幼少期からの病弱さも関係してか、繊細で内向的な性格に育っていったようです。

しかし、その内省的で繊細な性格が人間自身に目を向けようというルネサンスに非常に合っていたと思われます。

さらにボッティチェッリには、気に入った友人によくお酒を奢っていたという気前の良いエピソードもあり、人付き合いが好きだった一面もあったようです。

他にも当時フィレンツェで権力を持っていたメディチ家から庇護を受けていたところからも、画家として生きていくために必要な政治力も持ち合わせていたように思いますね。

忘れ去られた画家

メディチ家の庇護を受けて、神話画や宗教画をたくさん制作していたボッティチェッリでしたが、彼が50代に入った頃から徐々にメディチ家と距離をとるようになっていきます。

というのも、ドメニコ会の修道僧であったジローラモ・サヴォナローラの思想に傾倒するようになっていったから。

メディチ家の当主であったロレンツォ・デ・メディチが亡くなった後、力を持ったサヴォナローラは、

私服を肥やすメディチ家は糾弾されるべきだ!
贅沢は悪だぞ!
そんなんだからフィレンツェの町は腐敗していくのだ!
かつての厳格だった頃のキリスト教を取り戻そう!
禁欲こそが善だ!

という思想を掲げ、メディチ家の独裁体制やフィレンツェの町の腐敗を糾弾したんですね。

このある種の新興宗教とも言えるサヴォナローラの思想に傾倒していったことが、ボッティチェッリの晩年の評価、ひいては、死後の評価まで大きく変えてしまいました。

とりわけ、サヴォナローラの「かつての禁欲的だった頃のキリスト教文化を取り戻そう」という思想は、ボッティチェッリの画風にも大きく影響を与えました。

ボッティチェッリの作風は以前の華やかで人間味溢れるものとは違い、硬くて冷たい印象の思想の色が強い作風になっていきます。

さらには、化粧品や芸術品、書籍、トランプなどを燃やす「虚栄の焼却」をサヴォナローラが実施したことを受けて、ボッティチェッリも自身の作品を自らの手で燃やしてしまったそうです。

しかし、サヴォナローラの天下は長くは続きませんでした。

間もなく反対派の市民たちに捕らえられ、サヴォナローラは処刑されました。

この頃にはすでに、ボッティチェッリは過去の人となりつつありました。

絵の注文こそまだ少しは来ていたものの、聖ルカ組合(芸術家の組合)の会費を払えないなど、生活も困窮していたようです。

こういった晩年の様子や、サヴォナローラの死後に共和制を取り戻したフィレンツェで活躍したミケランジェロら他の画家の存在によって、ボッティチェッリは19世紀末に再評価されるまで忘れられた画家となってしまったのです。

「サンドロ・ボッティチェッリ」の面白いエピソードは?

「ボッティチェッリ」はひどいあだ名

実は「ボッティチェッリ」という名前は本名ではなく、あだ名なんですね。

ちなみに本名は、アレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピと言います。

余談ですが、昔の芸術家の名前って結構あだ名で呼ばれていることが多いんですよね〜。

では、「ボッティチェッリ」というあだ名にどんな意味があるかというと……、

これがまぁひどいもので。笑

私のあだ名「ボッティチェッリ」は……、
「小さな樽(たる)」という意味です……。

なんで「小さな樽」かって?

私の兄が樽のように太っていたからです!!

もう、めちゃくちゃかわいそう。笑

自分が太っていてそのあだ名をつけられたならまだ分かりますが、「兄ちゃんが太っていたから」って……。笑

もはや自分ではどうしようもない……。笑

ただ、自分で「ボッティチェッリ」と名乗って使っていたようですし、兄弟の特徴からあだ名をつけられることは、当時のフィレンツェでは特別なことではなかったのかもしれません。

……まぁ、もし自分がこう呼ばれたら絶対嫌ですけどね。笑

生涯独身を貫き通した

ボッティチェッリは生涯独身だったんですよね。

(晩年孤独だったのはそれもあったのかもと思います。)

それゆえに、同性愛の疑惑をかけられたこともあったそうです。

当時、ルネサンスの真っ只中だったとはいえ、今とは比較にならないほどキリスト教の色が強い時代でした。

キリスト教では、今でこそ多様な解釈がなされるようになりましたが、今までずっと同性愛は罪であるとされてきたんですね。

なので、あやうく罪を問われるところだったわけです。

その出来事がきっかけで、彼は「誹謗」というタイトルの作品を描いたと言われています。

こちらですね。

サンドロ・ボッティチェッリ
「誹謗」

タイトルがめっちゃストレート。笑

ちなみに、ボッティチェッリが実際に同性愛者だったかどうかは分かりません。

サイゼリヤの壁絵にも?!

これはボッティチェッリのエピソードというわけではないですが……。

学生御用達のイタリアンレストランチェーンの「サイゼリヤ」

実は、サイゼリヤの壁絵にボッティチェッリの作品「プリマヴェーラ(春)」が採用されているのをご存知ですか?

ぜひ今度サイゼリヤへ行ったときに確認してみてください。

そして、学生諸君!

もし彼女とサイゼリヤデートをしたときには、

この絵……、君も美術の教科書で見たことがあるかもしれないけど、ボッティチェッリの「プリマヴェーラ(春)」という作品なんだよ。

へ〜、そうなんだ〜!
美術に詳しいんだね///

厳格で禁欲的な中世から脱し、人間らしさを謳歌したルネサンス期の名画でね。
きっとこの絵を描いたボッティチェッリも、君に恋に落ちたときの僕のように、人として生きることの喜びを感じていたんじゃないかな……。

えっ……!
素敵!抱いて♡

とか、かましちゃってください。笑

(一切の責任はとりません)

「サンドロ・ボッティチェッリ」から一言

僕の記事を読んでくれてありがとう。
僕の作品が日本でも親しみを持って受け入れられているのは、とても嬉しいことだよ。

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