ジョット・ディ・ボンドーネ

ジョット・ディ・ボンドーネ

芸術家情報

イタリア
生没年1267年頃〜1337年1月8日
絵画様式後期ゴシック
代表作・スクロヴェーニ礼拝堂装飾絵画
・荘厳の聖母

代表作

ジョット・ディ・ボンドーネ
「東方三博士の礼拝(スクロヴェーニ礼拝堂)」
ジョット・ディ・ボンドーネ
「東方三博士の礼拝(スクロヴェーニ礼拝堂)」
ジョット・ディ・ボンドーネ
「ユダの接吻(スクロヴェーニ礼拝堂)」
ジョット・ディ・ボンドーネ
「ユダの接吻(スクロヴェーニ礼拝堂)」
ジョット・ディ・ボンドーネ
「荘厳の聖母」
ジョット・ディ・ボンドーネ
「荘厳の聖母」

功績

ルネサンスの先駆け的画家

ジョットの活躍した13世紀末〜14世紀始めは、ルネサンス到来の少し前の時代なんですね。

ルネサンス以前は、ビザンティン美術と呼ばれる美術様式でした。

このビザンティン美術、キリスト教の強い影響下にあった美術様式なんですね。

キリスト教の世界において、神様を人間として描くことは、それはそれは恐れ多いことだったんです。

それゆえに、どうしても神様が出てくる場面では記号を描くなどしていました。

(記号ってw)

さらに、神の子であるイエス・キリストも

人間っぽく写実的に描くのは恐れ多い!

とされ、あえて写実的にならないように(要するに下手っぴに。笑)描かれていました。

例えば、

  • 人物や背景に遠近感がない
  • 人物はみな同じ顔つき、表情
  • 背景や服、小物にもリアリティーがない

といった具合に。

そんなこんなで、この頃の画家たちは描き方がガッチガチに決められていました。

しかしジョットは違ったんですねぇ。

もうちょっと自分らしさを出してもいいんじゃないの?

と考えた。

で、ほぼ同時代の他の画家とジョットの絵がどう違うのかは比較すると分かりやすいと思います。

まずは、ジョットの師匠だったという逸話がある(実際はたぶん違う)チマブーエの絵をお見せしましょう。

チマブーエ「聖母と天使たち」
チマブーエ「聖母と天使たち」

そしてこちらが、ジョットの絵。(代表作でもある「荘厳の聖母」ですね。)

まずはじっくり見比べてみてください。

……さて、どこがどう違うでしょうか。

答え合わせしましょう。笑

正解は、ジョットの絵の方が

  • 顔の向きにバリエーションがある
  • マリアの表情がすこ〜し柔らかい
  • 台座に立体感がある
  • 服の素材に質感がある
  • 幼児のイエスの頭身がちゃんと赤ちゃんサイズ(笑)

でした!

探せば他にも違いはあると思いますが、要するにジョットの絵は同時代の画家と比べても非常に自然体でリアリティーがあるんです。

ただ、これだけ聞いても、

いまいち何がすごいんだか分からないわね〜

という方が多いと思います。

そこでちょっと想像してみてほしいのですが、みなさんが常識だと思っていることってありますよね。

例えば、メイクするときは色白に見えるようにした方がいい、みたいな。

それをある日突然、

時代はガングロじゃね?

と、ガングロメイクを始めたようなもんなんです。

そう考えると、90年代後半に一番最初にガングロを始めたギャルは、もはやジョットレベルの功績があると言えるでしょう。

……ちょっと脱線しましたが、要するにジョットの絵の革新性はそれくらい衝撃的なものだったのです。

そして、人間や自然を写実的に描く流れは、後のルネサンスへと繋がっていきます

それゆえに、ジョットは「(近代)西洋絵画の父」とも言われることがあります。

西洋美術史初の職業画家?

あくまで一説ですが、記録の残っている限りジョットは西洋美術史初の職業画家かもしれません。

あれ?じゃあ他の画家は?前の時代にも画家はいたでしょ?

と思う人がいるかもしれませんが、実はビザンティン美術の頃に「画家」という職業はありませんでした。

絵を描くという行為は、あくまでキリスト教の聖職者が仕事の中でおこなう行為だったんですね。

なので、この頃の画家は「絵も描けるキリスト教の聖職者」だったんです。

しかし、時代を切り開いた男・ジョットは一味違います。

いや〜、私実は聖職者でも何でもないんですよね。
もともとは羊飼いだったし。

そう、もともとは羊飼いだったと言われています。

逸話ですが、羊飼い時代のジョットが岩に描いた羊の絵を目にしたチマブーエ(さっきも出ましたねw)が、あまりのリアルさに衝撃を受け、ジョットの父親に掛け合って弟子にした、という話があります。逸話ですが(2回目)。

え?ってかなんか逸話多くない?
逸話のくせにやたらリアルなのなんで?

って思いますよね。笑

そう、ジョットはかれこれ700年以上前の画家なので、実はあまり情報が残っていないんです。

もっともジョットについての記述が載っているのが「美術家列伝」という書籍なのですが、これを著したのはジョットより250年ほど後に生まれた画家ジョルジョ・ヴァザーリなんです。

当然ですが、ヴァザーリはジョット本人と会ったことがありません。

ですが、もうジョット大好きなんですよね。笑

大絶賛しすぎて、ちょっと妄想入っちゃっているんですよ。笑

後に、エピソードの章でも書きますが、他にもヴァザーリによって記されたジョットの逸話は複数あります。

……ちょっと話を戻しますね。

というわけで、ジョットは羊飼い出身でありながら、実力を評価されて画業一本でやっていた専業画家だったんですね。

これは当時からするとかなりすごいことだったと思います。

野球で例えると、甲子園出場常連校出身でドラフト一巡目指名の猛者たちと同じプロのチームに草野球出身のジョットがいる、という感じです。

しかもエースで。笑

すごいもんですよね。

「ジョット風」という様式が生まれた

そんな草野球出身なのにプロでエース(笑)のジョットの存在は、後の画家たちにも多大な影響を及ぼします。

みんなこぞってジョットの画風を真似し、その果てには「ジョット風」という様式すら生まれてしまったのです。

では、ジョットを追いかけたジョットの弟子たちの絵をいくつか見てみましょうか。

マーゾ・ディ・バンコ
「シルウェステル1世の人生(ドラゴンを退治した聖シルウェステル)」
マーゾ・ディ・バンコ
「シルウェステル1世の人生(ドラゴンを退治した聖シルウェステル)」
タッデオ・ガッディ
「羊飼いへの天使の知らせ」
タッデオ・ガッディ
「羊飼いへの天使の知らせ」
ベルナルド・ダッディ
「キリスト磔刑」
ベルナルド・ダッディ
「キリスト磔刑」

先ほどお見せしたチマブーエの作品「聖母と天使たち」と比較すると、その差は歴然としているかと思います。

マーゾ・ディ・バンコの作品は遠近が強く意識されて描かれていますし、タッデオ・ガッディも羊の姿が非常にリアルですよね。

ベルナルド・ダッディの絵も、キリストの周りで嘆き悲しみ人々の表情が絶妙に表現されています。

こうしてジョットの、宗教性を抑えて自然や人間をあるがままに描くスタイルは、ルネサンスへ突き進む一つの大きな流れを作ったのです。

エピソード

ハエの逸話

先ほども登場したヴァザーリによって記された逸話の一つですね。笑

師匠・チマブーエが工房を留守にした隙に、

師匠の絵の中に、ハエの絵を描きこんじゃおw

とハエを描いたジョット。

しかし、チマブーエはジョットのよって描かれたハエを本物のハエだと思って、絵筆で追い払おうとしたんです。

まぁ、全部逸話ですけどね!!

……と、あまりにヴァザーリをいじりすぎると、

うるせー!
私はジョットをめちゃくちゃ評価しているんじゃ!!
ジョットのすごさについて、とにかくあらゆる手を尽くして表現したかったんじゃーい!!

って言われそうなので、この辺にしておきます。笑

ハレー彗星を見て描いた?

ところで君。
私が「ハレー彗星」を絵の中に描いているのに気付いたかい?

……?!?!

となった方は、ぜひページを遡って探してみてください。笑

……探せました?

答え言っちゃいますね?笑

……

はい、こちらです!

ジョット・ディ・ボンドーネ
「東方三博士の礼拝(スクロヴェーニ礼拝堂)」

絵の上部の真ん中あたりを見てみてください。

これです!

……

……なーんてね。
これ実は「ベツレヘムの星」と言って、イエスがベツレヘムで生まれたときに瞬いたとされる星なんだよ。

この絵の画題である「東方三博士の礼拝」は、西の空に輝くベツレヘムの星に導かれた東の国の賢者(博士)たちがイエスを敬って礼拝した、という話に基づいた画題なんですね。

だから、このベツレヘムの星は「東方三博士の礼拝」の画題には必ずと言っていいほど描かれるものなんです。

ただね、私が描いたベツレヘムの星と、他の人が描いたベツレヘムの星を見比べてほしいんだよ。

アルブレヒト・アルトドルファー
「東方三博士の礼拝」
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ
「東方三博士の礼拝」

他の画家は、露骨な星型か瞬く光を描いているが、私は尾を引いている星を描いているよね?
そう、まるで彗星のような……。

それってもしかして……?

私がハレー彗星を見て描いた、としたら、ロマンあるよねぇ。ははは。

ロマンがありますね……!!

と冗談めかして言いましたが、実は本当にハレー彗星を見て描いていた可能性もあるんですよね。

ハレー彗星の周期から逆算すると1301年に地球に近づいてきているはずなんです。

そして、ジョットがスクロヴェーニ礼拝堂の装飾絵画の制作をおこなったとされているのがだいたい1305年頃

そう考えると、ジョットがハレー彗星を観察してから尾を引くベツレヘムの星として描いた可能性も十二分にあるんですよ!

ちなみに、1985年に打ち上げられたハレー彗星観察用の探査機の名称は「ジョット(ジオット)」

もちろん、画家・ジョットからとっている名称です。

ジョットは小人症だった?

1970年代に、ジョットが埋葬されたとされる場所を掘り返したところ、ジョットの骨らしきものが出てきたんですね。

そしてその骨からは、当時、絵を描くときに使われていた顔料の成分であるヒ素化合物と鉛の痕跡が見つかったそうです。

これはジョット本人の遺骨に違いない……!

とざわついたわけですが、なんとその遺骨。

身長120cmちょっとしかないんです。

ただ、ジョットの描いたフレスコ画が飾られているサンタ・クローチェ聖堂の伝承によると、フレスコ画の一つに描かれている小人がジョット本人の自画像らしいんですね。

また、ヴァザーリの「美術家列伝」でもジョットが何らか普通の人とは違う特徴があったかもしれないと匂わせている記述があります。

それを受けて、もしかするとジョットは先天的な小人症だったのかもしれない、という仮説が生まれました。

しかしまぁ、この仮説は結構穴だらけなんです。笑

他で伝わっている「これがジョットの自画像だ」という絵では、まったく小人症ではない男が描かれていますし、ヴァザーリの書いていることは盛りまくりなので(笑)、そこまで信憑性が無いように思われます。

そういうこともあり、ジョットは小人症だった説は主にイタリア人研究者の間でのみ支持されている説のようです。

まぁ……

ロマンは必要ですね!!

ジョットから一言

私の紹介記事を読んでくれてありがとう。
私の表現したオリジナリティーが、後の美術史に大きな影響を与えていたということは光栄だよ。

日本国内だと、徳島県にある大塚国際美術館に私が装飾画を制作したスクロヴェーニ礼拝堂の環境展示(レプリカだけどね)があるから、ぜひ見に行ってみてほしい。

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