古墳時代の美術を分かりやすく解説!

古墳時代の美術を分かりやすく解説!

今回は、古墳時代の美術を解説するわね。

時代の名称どおり、古墳が出てきそうだな!

古墳時代の美術の代表作は?

まず古墳時代の美術の代表作を紹介するわ。

大仙陵古墳(仁徳天皇陵)

大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
5世紀前半〜半ば/大阪府堺市
参照:大仙陵古墳 – Wikipedia
埴輪 挂甲武人(埴輪武装男子立像)
埴輪 挂甲武人(埴輪武装男子立像)
6世紀/東京国立博物館(東京)所蔵

古墳埴輪だ……!

古墳時代の美術の特徴は?

それでは、古墳時代の美術の特徴について解説するわね。
政治的な背景を説明してから、美術品についても紹介していくわ。

都市国家の誕生

十数人の集落だった縄文時代、規模が大きくなりクニになった弥生時代……と歩んできたけど、古墳時代ではさらに規模が大きくなり、都市国家が誕生するのよ。

古墳時代に入る少し前に邪馬台国が登場しているから、すでに兆しはあったんだよな。

そうね。
歴史年表では時代区分で大きく変化したように感じるけど、実際にはゆるやかに移り変わっていくもの。

だから、縄文時代から古墳時代にかけて、徐々に集団を構成する人の数が増えていったということね。

ふむふむ。

さておき。

各地で誕生した都市国家は、さらに国同士が連合(※)して「ヤマト王権」と呼ばれる大きな政治権力になったわ。

※ヤマト王権は、邪馬台国が周りの国々を従えて誕生した説や、邪馬台国とは別の有力氏族同士が連合して誕生した説がある。

今はもう呼ばれなくなったけど、昔はヤマト王権のことを「大和朝廷」とか「ヤマト政権」って呼んでいたよな〜。

このヤマト王権は、倭(当時の日本列島の呼び名)の初めての統一国家
かつてない大きな権力が集中したわ。

なるほどな、時代背景はよく分かったぜ。

巨大化していった墓「古墳」

さて、各地に都市国家ができ始めた古墳時代。
都市国家が生まれたということは、それをまとめる権力者が生まれたということでもあるわ。

その権力者たちは、みんなこぞって自身の権力を誇示しようとしたの。

どうやって誇示したんだ?

大きな古墳(お墓)を造ったわ。

権力の大きさに比例する大きなものを造る……。

分かりやすすぎるぜ……!

そうね。笑

ちなみに、代表作として挙げた「大仙陵古墳」は日本最大の古墳で、お墓としては世界最大クラスでもあるのよ。

すげぇ………!

実はこの大仙陵古墳、エジプトのピラミッドがまるっと入ってしまうくらい大きいのよ。

大仙陵古墳とクフ王のピラミッドを同縮尺で重ねて比較した画像
大仙陵古墳とクフ王のピラミッドを同縮尺で重ねて比較した画像。
青が大仙陵古墳で、赤がクフ王のピラミッド。

マジかよ!!!

そういえば、古墳ってみんな、この、なんか……、鍵穴?みたいな形をしているものなのか?

ふふふ♪

たしかに、鍵穴のように見えるわね。

古墳といったらこの形、というくらい有名ではあるけど、実は古墳にはこれ以外にもさまざまな形のものがあるわ。

鍵穴以外にもあるのか!

ちなみに、これは鍵穴ではなくて、「前方後円墳」と呼ばれる種類の古墳よ。

前側が方形(四角)、後ろ側が円形で成り立っていることからそう呼ばれているわ。

なるほどな〜!

前方後円墳が有名ではあるけど、古墳時代に多かったのは方形だけの方墳や、円形だけの円墳ね。

他にも長方形墳、六角墳、八角墳、帆立貝形古墳、前方後方墳(2つの方形)、双円墳(2つの円形)といったものがあるわ。

そんなにたくさん種類があったんだな!

大きさも大小さまざまあるのよ。
小さいものだと一辺が十数mしかない古墳もあるわね。

小さい古墳の例

小さい古墳の例。
全長が50mちょっとしかない前方後円墳。

参照:愛宕山古墳 (行田市) – Wikipedia

なんか、間違えて上に乗ってしまっても気付かなそうだな……!

それと古墳は、北海道と沖縄、東北の一部を除いて日本中で5,000基前後造られたと言われているわ。

すごい数だな〜!

そうね。
でも古墳は、次の飛鳥時代に入るころにピタッと造られなくなったのよ。

え、なんでだ?

一説によると、
ヤマト王権が倭を統一したことで、わざわざ権力を誇示する必要がなくなったから
と言われているわね。

そうか、競う必要がなくなったってことか〜。

権力の象徴としての「埴輪」

古墳時代に作られたものとして、古墳と並ぶ代表的なものが埴輪ね。

なんか、こう……ほっ!みたいな顔しているやつだろ?

埴輪 踊る人々
「埴輪」と聞いたときに一般的にイメージされるもの。
踊っている男女を模している。

そうね。笑
よくアニメやゲームのキャラクターになっているから親しみがあると思うわ。

埴輪には大きく分けて円筒埴輪形象埴輪の二種類があるわ。

どういう違いがあるんだ?

埴輪が登場した初期に作られたのが円筒埴輪よ。

円筒埴輪

文字通り円筒形の埴輪である「円筒埴輪」。
参照:円筒埴輪 – Wikipedia

この円筒埴輪には、二つの役割があったわ。

一つは、古墳のお墓の周りに並べる垣の役割。
もう一つは、死者や神に食事を供える食器の役割よ。

ドラム缶のように見えたけど、食器を模していたんだな!

古墳が登場したばかりのころは、円筒埴輪が主だったわ。

それが、古墳が大きくなるにつれて、埴輪自体も権力の象徴として使われるようになったの。
その結果、作られるようになったのが形象埴輪よ。

形象埴輪は主に四種類あるわ。

家形埴輪:首長の家や神殿を象ったもの
器財埴輪:弓や甲冑などの武器・武具を象ったもの
人物埴輪:巫女や武人などの人を象ったもの
動物埴輪:馬や犬などの動物を象ったもの

といったものね。

家形埴輪
家形埴輪の例。

器財埴輪

器財埴輪の例。大刀(たち)を模している。
参照:大刀形埴輪  |  公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
人形埴輪
人形埴輪の例。
動物埴輪
動物埴輪の例。馬を模している。

多くの不動産や家畜を所有し、多くの人々を従えていた強い国のリーダー
を象徴していたのがよく分かるな〜。

新技術で作られた「須恵器」

そういえば、弥生時代まで作られていた土器はどうなったんだ?

古墳時代にも土器は作られたわ。

弥生土器の流れをくむ「土師器(はじき)」と、

土師器

土師器の例。
参照:土師器 – Wikipedia

大陸から伝わった新技術によって作られた「須恵器(すえき)」よ。

須恵器

須恵器の例。
参照:須恵器 長頸壺 – 兵庫陶芸美術館 収蔵品データベース

弥生土器と土師器はなんか色が赤っぽくて似ている感じがあるけど、須恵器は青みがかったグレーで別物だな!

須恵器は、窖窯(あながま)と呼ばれる窯を用いて、酸素があまり入らない状態で焼成するのよ。

酸素があまり入らないことで、理科の授業で習う「還元」が起こるわ。
それによって、土器が青灰色になるのよ。

なるほどな!
窯を使うなんて、古墳時代にはすでに現在の陶芸に似たスタイルになっていたんだなぁ。

窯の中の温度は1100度以上になるから、より硬く引き締まった土器が出来上がるのも特徴ね。

ヤマト王権下で生産管理された須恵器は、平安時代ごろまで作られ続けるわ。

古墳時代の美術が見れる場所は?

古墳時代の美術を鑑賞できる場所はあるのか?

古墳時代の遺物がまとめて展示されている場所と言えば、やっぱり東京国立博物館ね。

平成館の考古展示室に常設展示されているわ。

そういえば、縄文時代や弥生時代は遺跡の側に博物館とかあったけど、古墳もそうなのか?

ええ、例えば大仙陵古墳の近くには、堺市博物館があるわね。

ここは、大仙陵古墳の出土品を展示していたり、大仙陵古墳について学習できるコーナーがあっったり、充実しているのよ。

じゃあ、縄文時代や弥生時代の美術と同様に、気になる古墳があったら近くにある博物館をチェックすると良さそうだな!

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