今回は日本美術史の始まり、縄文時代の美術について紹介するわね。
日本の美術はここから始まったんだな〜!
縄文時代の美術の代表作は?
それでは、まずは縄文時代の美術の代表作を紹介するわね。
火焔型土器
縄文時代中期/東京国立博物館(東京)所蔵
参照:火焔型土器 – Wikipedia
土偶(通称:縄文のビーナス)
縄文時代中期/茅野市尖石縄文考古館(長野)所蔵
参照:縄文のビーナス – Wikipedia
土器と土偶が主なんだな!
縄文時代の美術の特徴は?
では、縄文時代の美術の特徴について解説していくわね。
日本最古の美術は?
……とは言ったけど、縄文時代の美術の具体的な解説に入る前に、歌琳さんに一つ質問。
日本最古の美術って何か知っているかしら?
日本最古の美術……。
う〜ん、日本美術史だと縄文時代の美術が最初に出てくるよな。
そうね。
それ以前だと旧石器時代になるけど、旧石器時代の日本でヨーロッパのような洞窟壁画とかが見つかった例は聞かないもんなぁ。
となると、やっぱり縄文時代に出てきた土器とかが日本最古の美術品ってなるのかな?
ふふ♪
ちょっと難しい質問だったわね。
明確には定義できないけど、一般的には日本最古の美術は縄文土器や土偶と言われているわ。
ふむふむ。
ってことは、
旧石器時代の石器 → 美術じゃない
縄文土器 → 美術
ってことだよな。
その違いって何なんだ?
モヤっとするかもしれないけど、明確な違いは存在しないの。
あるものが美術と言えるか否かについては、常に議論がなされていて変化するものなのよ。
実際、縄文土器はほんの数十年前まで美術として評価されていなかったわ。
え!
そうだったのか?!
ええ。
日本が誇る芸術家の岡本太郎が、1952年に現代美術の観点で縄文土器を評価する論評を著したことで、縄文土器が美術品として評価される風潮ができたのよ。
なんと……!
こういった風潮の変化だけでも評価が変わるのだから、不変的な美術の定義って難しいのよね。
なるほどな〜。
実用性を超えた美の誕生
ただ、感覚的な話をすると、
実用性を超えた美的な表現があるか
が、美術か否かを分けているととらえると、イメージしやすいと思うわね。
実用性を超えた美的な表現……。
どんなだろう?
例えば、旧石器時代の石器の場合。
石器はあくまで狩猟のためのものだったわ。
これは実用的な価値しかないと言えるわね。
確かに。
一方の縄文土器の場合。
最初こそ、保存・調理等に使用する実用的な道具に過ぎなかったわ。
でも、徐々に実用性を超えた装飾が施されるようになったわ。
代表作に上げた火焔型土器と同じくらい装飾が華美な水煙文土器。
水煙とは、水に何かを投げ入れたときなどに生じる飛沫のこと。
参照:中央高速・釈迦堂PAで縄文の世界へ!「釈迦堂遺跡博物館」 | 山梨県 | トラベルjp 旅行ガイド
本当だ!
確かに、使い勝手だけを考えたらこんな装飾いらないもんな!
このような
「実用性と関係の無い装飾の登場が、日本美術の始まり」
って考えると、わりと感覚的には捉えやすいと思うのよね。
納得だな〜。
縄文時代の由来となった「縄文土器」
さて、ちょっと前置きが長くなったけど、縄文時代の美術をもう少し掘り下げて解説するわね。
まずは、縄文土器について。
旧石器時代には土器を作る文化は無かったんだよな?
そうよ。
土器を作るようになったのは、地球の気候が温暖になったことが大きく関わっているわ。
旧石器時代は寒くて、日本には現在ほど植物が生い茂ってなかったのよ。
暖かくなって自然が豊かになってどう変わったんだ?
まず、大型動物を狩る生活から、木の実などを採集する生活に変わったの。
移動せずとも食物を得られるようになったので、人々は定住を開始したわ。
だいたい1万〜1万5000年くらい前の話ね。
大きな変化だな!
定住し始めたことで、食糧を保存したり調理したりするときに使う道具が必要になったわ。
そこで、登場したのが土器よ。
ついに登場したな!
ちなみに、土器自体は世界中で作られていたけど、日本を含め東アジアが土器誕生の世界最古と言われているわ。
すごいなぁ。
そして、いつしか土器に特有の縄目の文様がつけられるようになるわ。
縄文時代前期に作られた土器。
縄を押し付けて表現された文様が見てとれる。
参照:縄文土器 – Wikipedia
なるほど、”縄”目の”文”様の土器が作られたから「縄文時代」ってことか!
でも、なんで縄目の文様がつけられるようになったんだ?
実は、縄目文様がつけられるようになった理由は分かっていないわ。
ただ、縄文土器の中には、文様を利用して物語らしきものが表現されている例が見受けられるの。
そこでは、当時の人々の世界観や、集落や人間同士の関係性について表現されていると言われているわ。
なるほどな……!
なんか、さっきの実用性を超えた美的な表現にも通ずるところがありそうだな!
そうね♪
でも、縄文時代中期(約5000年前くらい)からは、より「実用性を超えた美」が感じられる土器が出現するようになるわ。
あ!
それってもしかして、さっきすでに登場した水煙文土器かな……?!
そうね♪
それと、代表作にある火焔型土器もそう。
確かにどっちもすごい派手で、アート感あるよな……!
中期までの土器は、縄や竹を押し当てて表面をへこませて文様を描いたものが主だったの。
ところが中期に入ると、表面をへこませるのではなく、土器の表面に粘土を盛ることで文様をつけるものが出現するの。
縄文時代中期ごろから、粘土を盛って飾り付けるスタイルに変化した。
参照:火焔型土器 – Wikipedia
比較すると全然違うな〜!
装飾が華美になっていった背景には、土器が保存・調理だけでなく、祭祀に使われるようになったことがあるわね。
ヨーロッパの古代美術でもそうだけど、やっぱり祈りや祭といった宗教的な行為と美術は密接な関係があるんだな〜。
祭祀に使われた「土偶」
祭祀に使われたと言えば、「土偶」も縄文時代の美術の代表と言えるわね。
土偶って、人をかたどった土人形のことだよな?
そうね。
定義が曖昧ではあるんだけど、一般的には人をかたどったものを土偶と言うわね。
物や他の動物をかたどった物は土製品(どせいひん)と呼ばれるわ。
ふむふむ。
土偶は最初、胴体のみの簡易なものが多かったの。
現在出土した中では最古となる縄文時代草創期の土偶。
胴体部分だけをかたどったもの。
参照:縄文時代の土偶がかわいい!1万2000年の歴史を5分で解説! | 和樂web 日本文化の入り口マガジン
それが徐々に手足が付くようになり、最終的には二本足で自立するようになるのよ。
自立している土偶。
参照:縄文のビーナス – Wikipedia
すごいな!
ところで、土偶って女性の胸や腰を強調した形をしているものが多い印象あるんだよな。
それは何か理由があるのか?
いい気付きね、歌琳さん。
女性の胸や腰を強調しているのは、
安産や多産を祈ったから
と言われているわ。
なるほどな〜!
女性の生殖器を強調する以外の土偶の特徴としては、完全な状態で出土されることが珍しいことがあるわね。
言われてみれば、代表作にある遮光器土偶は片脚が無いな!
そうね♪
これ実は、故意に壊しているのよ。
え?!
なんでだ?!
諸説あるけど、縄文時代の人々は豊作を祈るために、土偶をバラバラにして農地に埋めたと言われているわ。
「故意に壊された」って聞くとドキッとしたけど、そういう理由なら納得だぜ!
旧石器時代までおこなわれていた狩りや狩りで使う石器は、古代の人々にとって生命をいただく男性的なものだったの。
一方で、縄文時代に始まった農作や伴って使われるようになった土器は、生命をはぐくむ女性的なもの。
農業自体が女性的な営みだから女性の姿をかたどった土偶が多く、また、土偶を農地に埋める儀式をおこなったと考えられているわ。
いろいろと繋がった気がするな〜。
縄文時代の美術が見れる場所は?
縄文時代の美術をまとめて鑑賞できる場所ってどこにあるんだ?
美術館というよりは博物館がいいと思うわ。
一番はやっぱりなんと言っても「東京国立博物館」ね!
平成館の考古展示室で土器や土偶などが常設展示されているのよ。
それはいいな!
さすがにトーハク(東京国立博物館の略称)レベルじゃなくていいけど、他に縄文時代の美術を展示している施設はあるのか?
縄文時代の美術は、比較的全国の博物館で鑑賞することができるわ。
とりわけオススメなのは、縄文時代の遺跡に併設された博物館や資料館ね。
例えば、代表作の縄文のビーナスを所蔵しているのは、長野県茅野市にある「茅野市尖石縄文考古館」。
これは尖石・与助尾根遺跡のすぐ側にある、遺跡に併設された施設なの。
おお!
確かに、遺跡併設の施設なら出土品の展示に力を入れていそうだな!
縄文時代の集落跡として多くの人が知っている、青森県青森市の三内丸山遺跡もいいわね。
遺跡の脇にある「縄文時遊館」は展示が充実しているわ。
三内丸山遺跡は歴史の教科書でも出てくるし、知っているぜ〜!
ちなみに、三内丸山遺跡は2021年7月27日に「北海道・北東北の縄文遺跡群」として、世界文化遺産に登録されることが決定されたのよ。
すごい!
誇らしいな〜!