画家「ジャン=ミッシェル・バスキア」を分かりやすく解説!

画家「ジャン=ミッシェル・バスキア」を分かりやすく解説!

今回は画家「ジャン=ミッシェル・バスキア」を紹介していくわね♪

知ってるぞ〜〜〜!!!
元ZOZOの社長の前澤さんが123億円で落札した絵の画家だー!!

きっと前澤さんがきっかけでバスキアという画家を知った方も多いと思うわ。

「バスキア」の代表作は?

そんなバスキアの代表作を紹介していくわね。

やっぱりなんと言っても、前澤さんが落札して有名になった作品がこの「Untitled」ね。

ジャン=ミッシェル・バスキア「Untitled」
1982年/アメリカ
参照:朝日新聞デジタル:朝日新聞社のニュースサイト

やっぱりこれだよな!
それにしても子供の落書きみたいな面白い絵だよな〜!

そうね、全体的に「子供の落書きみたい」と感じるような作品が多いわね。

ジャン=ミッシェル・バスキア「Napoleon」
1982年/アメリカ
参照:カーサ ブルータス Casa BRUTUS

芸術家ジャン=ミッシェル・バスキア「Carbon/Oxygen」
1984年/アメリカ
参照:カーサ ブルータス Casa BRUTUS

「バスキア」はどんな人?

バスキアは1960年にニューヨークのブルックリンに生まれたの。

ブルックリンって、ものすごい治安が悪いけど独自の文化が生まれてきたエリアだよな?

そうね。
ブルックリン全域というわけではないけど、場所によってはスラム街のような場所もあるようね。

どこにでも絵を描く早熟の天才

バスキア自身はかなり幼いころから才能を爆発させていたわ。

バスキアの友人の話によると、子供時代の彼はとにかく家の中のあらゆるものに絵を描いていたそうよ。

すげぇ……!
すでに天才の匂いがするぜ……!

そんなバスキアは17歳のころには、ニューヨークのスラム街の壁にスプレーで絵を描き始めたの。

当時彼は高校生だったんだけど、まもなく高校を中退してTシャツやポストカードを売って生計を立てるようになったのよ。

早熟だなぁ……。

それから間もなく初の個展を開催。
そこで美術業界の人たちの目に止まって、バスキアはごく自然な流れで画家として活躍するようになったのよ。

アルマーニのスーツを着こなすカリスマ

バスキアの魅力は画業だけではないの。
彼には圧倒的なカリスマがあったわ。

カリスマ……?

バスキアはファッションにも強いこだわりがあって、絵を描くときも公衆の面前に出るときも、いつもアルマーニのオーダーメイドのスーツを着ていたのよ。

しかも、裸足にスーツという個性的な格好でありながらとても自然に着こなしていたの。

「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」の表紙を飾ったバスキア。
たたずまいからもカリスマを感じる。
参照:THE RAKE JAPAN | The Modern Voice of Classic Elegance

かっっっこよ……!!!
え?!モデルじゃん?!

アルマーニのスーツにこだわっていたのは、絵を描くときの動きやすさを考えた結果だったようよ。

「そもそもスーツ着なけりゃ絵描きやすくね?」
って思ったけど、あまりにも輝いていてツッコめねぇ……!!

それは確かにそうね。笑

でも、周りの目とか流行なんか関係なく独自のスタイルを貫いている姿は、確かにカリスマを感じるなぁ……。

アンディ・ウォーホルとの交流

そして、バスキアを語る上で絶対に外せないのが芸術家「アンディ・ウォーホル」の存在よ。

ん?
アンディ・ウォーホルって、あのマリリン・モンローの作品の人?

アンディ・ウォーホル「マリリン・モンロー」
参照:東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

そうそう。
バスキアとウォーホルは1983年ごろに知り合って、共同で絵を制作するくらい仲良くなったのよ。

このときバスキアは22歳で、ウォーホルは54歳。
実に20歳以上も年が離れていたの。

すげぇな〜。
親子ほど年が離れていても、お互いリスペクトしあえる関係だったんだもんなぁ。

早世のブラックピカソ

けど、そのウォーホルが1987年に亡くなったことで、バスキアの精神はどんどん不安定になり、孤独も深まっていったのよ。

そして、バスキアはウォーホルの後を追うように1988年、27歳の若さでヘロインのオーバードーズ(薬物の過剰摂取)で命を落としたわ。

なんてあっけないんだ……。

バスキアは生前から十分に評価されていたけど、死後にニューヨークで大規模な回顧展(生涯に制作された作品の展示会)がおこなわれたの。

そこでさらに評価が高まり、その自由な作風と彼が黒人であったことから「ブラック・ピカソ」とまで評されるようになったわ。

なるほどなぁ。

けど、「ブラック・ピカソ」って呼び名は本人が生きていたらどう思うんだろうなぁ。
バスキアは「黒人」と言われることを好んでなかったわけだし……。

亡くなっている以上バスキア自身の気持ちを聞くことはできないけど、確かにちょっと引っかかるところではあるわよね。

そうそう、そういえばバスキアは「27クラブ」のメンバーに入っているの。
歌琳さん、「27クラブ」って知っているかしら?

あ!
それあれだろ、27歳で死亡した著名ミュージシャンのリストだろ?

有名どころだとカート・コバーンとかジミ・ヘンドリックスとかが入っている!

それよ♪

27クラブはミュージシャンばかりだと思われがちだけど、アーティストや俳優なども含まれているの。

バスキアも、生前の画業によって「27クラブ」にメンバー入りしたのよ。

「バスキア」の作品の特徴は?

バスキア作品って、なんていうかすべて子供の落書きみたいな感じするよな!
キャンバスだけでなく、その辺の紙とかにも描いているし……。

そうね、鮮やかな色彩で思いつくままにのびのびと描いているように見えるわね。

なんで評価されてんだ……?(単刀直入)

はっきり言うわね。笑

それじゃ私もはっきりと言うけど、バスキアの作品の価値は、表面的な色の鮮やかさや造形の面白さを眺めているだけでは理解できないわ。

新表現主義を先導したバスキア

バスキアは高校を中退しているし正規の美術教育を受けたわけでもないけど、とても知的な人だったのよ。

だから、アートについても深い知識を持っていたわ。

そういう素養があった上で、あえて子供の落書きのような表現をとっていたの。

なんでなんだ?

バスキアは「新表現主義」と呼ばれる美術の流派を先導したの。

新表現主義?

すごーく簡単に説明すると、
「抽象的でありつつ、激しくラフに、知覚できる物を描く」
のが、新表現主義よ。

……ん?
絵ってだいたいそんなもんじゃねぇのか?

……まぁ、そりゃそうなるわね。笑

新表現主義を説明する上で大切になるのは、それまでのアメリカでは「ミニマル・アート」や「コンセプチュアル・アート」が流行していたってこと。

バスキアはミニマル・アートやコンセプチュアル・アートに反発するような形で新表現主義の作品を生み出していったのよ。

その、ミニマル・アートとかコンセプチュアル・アートってどんなものなんだ?

例えばこんな感じ。

ミニマル・アートの例
参照:岡部遼太郎公式ホームページーアクリルラボー

シンプルすぎて何を表現したいのかまったく分からん……!

まぁ、これらのアートを否定するつもりはないけど、当時のバスキアら新表現主義の画家たちは
「観念的すぎる」
と考えていたわ。

その結果が、
「鑑賞者が見てそれが何か分かるものを、感情も織り込んで描きだす」
という新表現主義の表現へと繋がったの。

なるほど……。
だから、頭蓋骨とかロケットとか「あー、あれね!」と分かるようなものを描いているのか〜。

繰り返し描かれたもの

バスキアは一つの絵の中にいろいろなものを描いたけど、とりわけ何回も繰り返し描かれたものがあるのよ。

例えば、「王冠」がそうね。

ジャン=ミッシェル・バスキア「Fooey」
参照:美術手帖

確かに、このギザギザの王冠マークはよく描かれているな!

これは、アメリカのテレビ番組「リトル・ラスカルズ」に出てくるバックウィートという黒人の男の子の髪型が、ファンキーな「王冠」のようでお気に入りだった、というバスキアの原体験によるものなのよ。

「リトル・ラスカルズ」のバックウィート。
参照:William “Buckwheat” Thomas

まさか髪型から来ていたとはな!

他にも、前澤さんの落札した「Untitled」に描かれた「頭蓋骨」もそう。

あれは、バスキアが7歳のときに母親からもらった医学書「グレイの解剖学」のイメージから描かれているものなの。

7歳で医学書ってすげぇな……!

黒人だからこそのメッセージ性

実は、さっきの王冠頭蓋骨もそうなんだけど、バスキアは黒人というアイデンティティからくる強いメッセージを作品に込めていることが多いの。

王冠は黒人のキャラクターの髪型だから分かるけど、頭蓋骨は何が黒人的なんだ?

頭蓋骨は、ハイチ人であったバスキアの父親が信仰していたブードゥー教のシンボルなの。

ただこれは、バスキア自身が語ったわけではないのであくまで一つの考察にすぎないけどね。

なるほどなぁ。

でもよ、バスキアって「黒人アーティスト」って言われるのを毛嫌いしていたって話じゃねぇか?

それなのに自ら、黒人としての表現をしていたってことなのか?

そうよ。
バスキア自身のアイデンティティを考えると、黒人である自分は切っても切れなかったの。

そして、黒人であるからこそ差別を受けたり、世の中の不条理に気付くこともたくさんあったわ。

王冠や頭蓋骨だけじゃなく、絵の中に黒い人がたくさん出てくるのもそういうことだったのか……。

さらにバスキアは、「挑発的二分法」と呼ばれる手法で自身の感じ取った人種差別や貧困など社会問題を批評的に表現したの。

挑発的二分法?

例えば、裕福と貧乏や黒人と白人、外側と内側……といった、二つの対立関係にあるものを作品に落とし込む方法よ。

いや〜〜、子供の落書きみたいって思っていたけど、バスキアがこんなに鋭く洞察して描いていただなんてな……!

バスキア自身のことを知ったことで、バスキア作品の見え方が変わったぜ……!

「バスキア」の作品はどこで見れる?

そんなバスキアの作品を、日本国内で常時展示している場所は今のところ無いわ。

ただ、バスキア自身を知ることが深い作品理解へと繋がるわ。
なので、もし今回の記事を読んでバスキアに興味を持ったなら、映画や映像作品でバスキアについて知るといいわ。

▶︎ 映画「バスキアのすべて」
▶︎ 映画「バスキア」
▶︎ 映画「バスキア、10代最後のとき」
▶︎ 映画「DOWNTOWN 81」

もし、もっといろいろ作品を見てみたいぜ!って人は、2019年に日本で催されたバスキア展の図録を見るのもいいと思うぜ!

▶︎ 図録「バスキア展 メイド・イン・ジャパン」

芸術家カテゴリの最新記事