画家「アルフォンス・ミュシャ」を分かりやすく解説!

画家「アルフォンス・ミュシャ」を分かりやすく解説!

今回は日本人にも人気のチェコの画家、アルフォンス・ミュシャを紹介するわね。

確かにミュシャのファンは多いよな!

「ミュシャ」の代表作は?

まずは、ミュシャの代表作を紹介するわね。

アルフォンス・ミュシャ「ジスモンダ」
アルフォンス・ミュシャ「ジスモンダ」
1894年
アルフォンス・ミュシャ「黄道十二宮」
アルフォンス・ミュシャ「黄道十二宮」
1896年
アルフォンス・ミュシャ「スラヴ叙事詩」
アルフォンス・ミュシャ「スラヴ叙事詩」
1910〜1928年/プラハ国立美術館のヴェレトゥルジュニー宮殿
アルフォンス・ミュシャ「四季 - 春」
アルフォンス・ミュシャ「四季 – 春」
1896年/大阪府堺市所蔵(日本)

なんとなく漫画とかイラストっぽい感じするよな!
そういうところも日本人好みな理由かも?

「ミュシャ」はどんな人?

では、ミュシャがどんな人物だったかを解説するわね。

最初は音楽家志望だった

チェコ生まれのミュシャは、子供時代は教会の聖歌隊に所属していて、音楽家を目指していたの。

へ〜そうだったんだ!

けど、14、5歳のころから声が出なくなってしまい、ミュシャは音楽家の夢を諦めることになるの。

それは残念だっただろうな……。

その後、学校を中退して地方裁判所での勤務を経て、舞台装置工房で働き始めるわ。

このころからデッサンの学校に通い始めて、画家を目指し始めるの。

どうやら、聖歌隊に所属していたときから聖歌集の表紙の絵を担当するなど、絵を描くことが好きだったようね。

自然と絵を描く方へ向かっていったんだな。

演劇のポスターで一躍有名に

パトロンの支援で美術学校へ通うなどして、たんたんと技術に磨きをかけたミュシャに転機が訪れたのは34歳のときのこと。

1894年の年末、たまたま印刷所勤務の友人のクリスマス休暇の代わりに仕事を手伝っていたミュシャのもとにある依頼が舞いこんでくるの……。

おお……!
なんか物語が始まる予感……!

その依頼とは、
女優サラ・ベルナールの舞台のポスターを描いてほしい」
というものだったわ。

えっ!
なんでそんな依頼がミュシャのもとにやってきたんだ?

ちょうど年の瀬で、仕事を受けられる画家がパリにいなかったのよ。

そこで急遽、たまたまそのとき印刷所で働いていたミュシャが依頼を受けることになったわ。

たまたまでもその場で仕事受けるのすごいな〜。

当時すでに雑誌や新聞のイラストレーターとして生計を立てていたからこそできたことね。

そのときに作成したポスターが、代表作にもあがっていた「ジスモンダ」よ。

ミュシャの出世作となった「ジスモンダ」。
モデルとなった女優サラ・ベルナールは感激のあまり、
専属の画家としてミュシャと契約した。

ジスモンダのあまりの出来の良さにサラが感激
「これからは私のために描いて!」
と言わせるほど魅了したの。

ちなみに、実際にサラは6年にわたる専属契約をミュシャと結んだわ。

すごいな……。
たった一枚のポスターの制作で

ジスモンダのポスターがパリの街に貼りだされるとたちまち話題になったわ。

それで、ミュシャはあっという間にポスターのイラストレーターとして有名になるの。

無欲で愛される人柄

ミュシャは人気になってからも、油画や水彩画ではなくリトグラフ(石版画)の作品をたくさん作ったわ。

なんでリトグラフにこだわったんだ?
たくさん印刷できるリトグラフより、一点物の油画や水彩画の方が価値が高そうだけどな〜。

その「たくさん印刷できる」ということがミュシャにとっては重要だったの。

ミュシャは富や名声に興味がない無欲な人だったと言われているわ。

それゆえ、自身の利益よりも「多くの人に親しんでもらいたいから」と、リトグラフで作り続けたのよ。

なんて人格者なの……!

ミュシャは、ただ無欲な人だっただけでなく、人懐っこくて愛されるキャラクターだったとも言われているの。

実際、気難しい一面のあった同時代の画家・ゴーギャンとは、ミュシャのアトリエで一緒にオルガンを弾くくらい仲良しだったみたいね。

プライドが高くて自分の絵をいじられるのが嫌いなゴーギャンともうまくやっていたのか……!

「ミュシャ」の作品の特徴は?

それでは、ミュシャの作品の特徴を解説するわね。

アール・ヌーヴォーの旗手

ミュシャはアール・ヌーヴォーを代表する画家よ。

アール・ヌーヴォーってなんだ?

19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に流行した国際的な美術運動だわ。

アール・ヌーヴォー自体は、建築、工芸品、グラフィックデザイン……と多岐にわたって展開されたの。

例えばアール・ヌーヴォーの工芸品の例としてはこんな感じ。

アール・ヌーヴォーの作品例、ウィリアム・モリスのデザインしたカーペット。
曲線が多く優美で装飾的な模様が特徴。

アール・ヌーヴォーの作品例である金物工芸。
植物のつる巻いた感じは、典型的なアール・ヌーヴォーの装飾。
参照:アール・ヌーヴォー – Wikipedia

アール・ヌーヴォーの絵画の特徴はどんななんだ?

花や草木を取り入れたデザイン的な装飾が最大の特徴よ。
全体的に曲線が多いのも特徴ね。

ミュシャに絵はまさにその特徴どおりだな!

日本美術の影響がある?

それと、ミュシャの絵画には日本美術の影響があると言われているわ。

そうなのか!
どこが日本美術っぽい部分なんだ?

例えば、
・太い輪郭線
・のっぺりとした色の塗り
・写実性と装飾性の調和

といったところね。

こうやって比較して見ると、たしかに日本美術っぽさがあるな〜!

でも、ミュシャ自身は
「日本美術の影響は無い」
と言っているのよ。

とはいえ、当時のヨーロッパでは「ジャポニスム(※)」が流行していたこともあって、日本美術の影響は避けられなかったと思うの。

※ジャポニスム:19世紀後半にヨーロッパで流行した日本趣味のこと。

直接参考にしたわけではないとはいえ、きっと日本美術の影響を受けた絵や物から、二次的にインスピレーションを受けてはいたんだろうな〜。

根底にあるのは人間讃歌

ミュシャは無欲で愛される人という話はしたけど、作品にも彼の性格が表れているものがあるわ。

その典型的なものが代表作にもある「スラヴ叙事詩」よ。

アルフォンス・ミュシャ「スラヴ叙事詩」1
スラヴ叙事詩の一枚。
異民族の襲撃に怯えるスラヴ人を描いている。
スラヴ人の独立と平和への思いが描かれている。
アルフォンス・ミュシャ「スラヴ叙事詩」2
スラヴ叙事詩の集大成的な役割を占める一枚。
画面の下半分ではスラヴ人の歴史を描きだし、
上半分ではチェコの独立と自由を表現した青年と、
その背後にhはは祝福するキリストの姿が描かれている。

おお〜!
スラヴ叙事詩のどういう点が、ミュシャの性格を表しているんだ?

スラヴ叙事詩は、ミュシャが晩年に16年かけて完成させた大作

テーマは自分のルーツでもあるスラヴ民族の伝承や神話よ。

ミュシャがこの20枚からなる連作を描いた理由は、
「祖国チェコのために残りの人生を捧げたい」
という思いからだったわ。

なるほど……!

もっとたくさん絵を売って儲けようとか、人気作品を作ろうとかじゃなくて、自分の国や人々のために作品を制作したんだな……!

ミュシャがスラヴ叙事詩を制作していたのは、ちょうど第一次世界大戦の最中。

そういう時代背景もあって、より自身のアイデンティティに対する思いが強くなっていたのでしょうね。

画家人生を賭けて制作したミュシャの民族愛を感じるなぁ。

「ミュシャ」の作品はどこで見れる?

ミュシャはチェコの画家ではあるけど、日本国内でも作品を見ることができるわ。

ミュシャの作品を多く所蔵している場所だと、大阪府堺市にある「堺 アルフォンス・ミュシャ館」がおすすめね。

国内で見れる場所があるのは嬉しいな!

国外だと、ミュシャの祖国であるチェコに「プラハ・ミュシャ美術館」があるわね。

ミュシャの作品は印刷物として広まっていることもあって、グッズやインテリアとして楽しみたい人も多いはず!

そういう人は、Amazonでいろいろ探してみるといいぜ!

Amazonの「ミュシャ 画集」のリスト

芸術家カテゴリの最新記事