今回は、オランダの風俗画家「ヨハネス・フェルメール」を解説するわね。
日本人が大好きなフェルメールだー!
「フェルメール」の代表作は?
まずは、フェルメールの代表作を紹介するわね。
きっと知っている人が多いだろうな!
「フェルメール」はどんな人?
それでは、フェルメールがどんな人物だったか紹介するわね。
作品は知っているけど、どんな人だったかは案外知らないな〜。
結婚で勝ち組に
フェルメールは10代までどう過ごしていたか、あまり分かっていないの。
一つ分かっていることは、21歳がターニングポイントになっているということ。
21歳のときに何があったんだ?
フェルメールが21歳のときの重要なイベントは
・聖ルカ組合へ入会
・結婚
の二つ。
聖ルカ組合ってなんだ?
すごく簡単に言うと、芸術家の協会みたいなものよ。
聖ルカ組合に入会すると、
・親方として弟子をとる
・絵を売って生計を立てる
といったことができるようになるわ。
芸術家としてやっていくためには入らなきゃいけない組合なんだな!
この聖ルカ組合は各地にあったんだけど、フェルメールは生まれ育った町・デルフトの聖ルカ組合に入会したの。
そして、30歳のときに最年少でデルフトの聖ルカ組合の理事になったわ。
すげぇ!
エリートだったんだな!
そして、カタリーナ・ボルネスという女性との結婚もフェルメールにとっては追い風になったわ。
どうして追い風になったんだ?
カタリーナの母親はとても裕福で、フェルメールに惜しみない援助をしたのよ。
だからフェルメールは、純金と同じくらい高価だった鉱物・ラピスラズリを原料としたウルトラマリン(青色)をふんだんに使えたの。
勝ち組じゃねぇか!
フェルメールは子だくさんで14、5人の子供がいたんだけど、画家になったばかりのころは養育費が足りず、カタリーナの母親を頼っていたようね。
なんてやつだ!!
ほとんど絵を描かなかった
フェルメールは、実は寡作(作品数が少ない)だったのよ。
具体的には、年間二、三枚しか描かなかったの。
え〜!
たったそれだけ?!
さては、また義理の母を頼って……?
まぁ義母からの援助ももちろんあったけど(笑)、フェルメールには長い間ずっと支えてくれたファン・ライフェンというパトロンがいたの。
ファン・ライフェンは、時間をかけてでも丁寧に作品を仕上げるフェルメールをたいへん気に入っていたと言われているわ。
パトロンにも恵まれちゃっていたのね〜!
ちなみにフェルメールが描いたと言われている作品は、全部で35点ほどしか無いわ。
35点しか無いのに、これだけ有名な作品が多いのか……!
忘れられた画家
今でこそ世界的に人気のある画家になったけど、実はフェルメールは長い間、忘れられた画家だったのよ。
え?
それってどういうことだ?
フェルメールは17世紀の間は死後も人気を保てていたの。
けど、18世紀に入ると急速に人気が失われ、やがて忘れられてしまったわ。
なんで忘れられちまったんだ?
理由はいくつかあるわ。
具体的には、
・あまりに寡作だったから
・ほとんどの作品が個人コレクションで世に出なかったから
・芸術の基準が変わって評価されなくなったから
などがあるわね。
生前の勝ち組感を考えると、なんとも寂しい気がするなぁ……。
ただ、フェルメールは19世紀後半にフランスの美術評論家の手で再発見されたわ。
その後、1995〜1996年にフェルメールの母国・オランダと、アメリカで開催されたフェルメール展で、世界的な人気になって今に至るわ。
フェルメールが世界的に知られるようになったのは、ここ数十年くらいの話なんだな……!
「フェルメール」の作品の特徴は?
それでは、フェルメールの作品の特徴を解説していくわね。
フェルメール・ブルー
フェルメールの作品を語る上で外せないのは、自身の名を冠した青色「フェルメール・ブルー」の存在ね。
自分の名前が色の名前になっているなんてすげぇな!
このフェルメール・ブルーは、ウルトラマリンという顔料が用いられるの。
さっきもちらっと出てきたな。
高価な顔料なのに、義母の援助でたくさん使えたんだよな!
そうね。
ただ、高価かどうかはさておき、その鮮やかで高貴な深い青色は世界中の人々に強いインパクトを与えたわ。
実際、代表作である「真珠の耳飾りの少女」はフェルメール・ブルーのターバンの印象が強くて、「青いターバンの少女」という通称がついたくらいなの。
うちも最初、青いターバンの方が印象に残っていたから分かるなぁ〜。
カメラ・オブスクラを使用した作品制作
これはフェルメールの作品を何枚も見ていないと気付かないかもしれないけど、なんだか似たような構図が多いと思わない?
あ、確かに!
なんかみんな部屋の中で、左側に窓があるな。
お気に入りの構図だったのかな?
諸説あるけど、これはフェルメールが「カメラ・オブスクラ」を使用して作品を描いていた証拠ではないか?という説があるの。
カメラ・オブスクラ?
現在のカメラの元となった機械よ。
被写体を投影してデッサンなどをおこなうものなの。
同じ構図が多いのは、
カメラ・オブスクラをその位置に設置して使用していたから
という説があるわね。
ってことはフェルメールは、写った像を描いていたってことなのか!
そうね。
ただ、フェルメールがカメラ・オブスクラを利用していたかは未だに議論中で結論が出ていないわ。
絵画に輝きを与える技法・ポワンティエ
フェルメールの用いた技法には「ポワンティエ」というものもあるわ。
ポワンティエ?
それはどういった技法なんだ?
ポワンティエは、白などの明るい色の粒を描くことで反射した光の輝きを表現する技法よ。
絵を拡大して見ると分かるわね。
おお!
すごい!キラキラしてる!!
実はポワンティエという技法も、カメラ・オブスクラを使っていた証拠ではないかと言われているの。
え?なんでだ?
これは、カメラ・オブスクラ越しに光が粒のようにキラキラして見えたのを、そのまま描写したと言われているわ。
なるほどな〜。
でもこれもきっと、いまだに議論されているんだろ?
そうね。
でも逆を返せば、フェルメールという画家は議論の的になるくらい魅力的な絵を描いているということでもあるわね♪
「フェルメール」の作品はどこで見れる?
日本国内だと国立西洋美術館に「聖プラクセディス」という作品が常設で展示されているわね。
あれ?
でも、作者名が「ヨハネス・フェルメール(に帰属)」ってなっているぞ?
これはどういうことなんだ?
実はフェルメールは、真作(本物)か贋作(偽物)か研究者の間でも意見が割れているものが多いの。
この「聖プラクセディス」に関しても、意見が分かれているのでこういう曖昧な表現になっているのよ。
なるほどな〜。
ただ、この聖プラクセディスがフェルメールの真作であったとしても、画家として駆け出しのころの作品なの。
だから、典型的なフェルメール作品ではないわね。
なので、有名な作品を見たいなら、フェルメールの母国・オランダへ行くといいわ。
とりわけ、代表作を所蔵しているアムステルダム美術館やマウリッツハイス美術館がおすすめね。
あとは、フェルメールだと日本でも人気の画家だから、企画展をやる可能性もあるよな!
そうなると、海外の美術館や個人が所蔵している作品が日本にやってくる可能性もあるな。
そうね♪
あとは、人気画家だけあって画集も充実しているから、まずは画集を買うというのも手よね。