「エジプト美術」の代表作や特徴、時代背景を分かりやすく解説!

「エジプト美術」の代表作や特徴、時代背景を分かりやすく解説!

今回はエジプト美術の解説をしていくわ。

エジプト美術であればイメージ湧くな〜!
なにせ「遊戯王」の世界観だからな!

参照:遊戯王 デュエルリンクス

そうね、「遊戯王」はエジプト神話をテーマにしている作品で、キャラクターにはエジプト神話の神様をモチーフにしたものも多いわね。

では、そんなエジプト美術の代表的なものから見ていきましょうか。

「エジプト美術」の代表作は?

ジェトの石碑(蛇王のステラ)
紀元前3,000年頃/アビュドス(エジプト)
参照:Wikipedia

三大ピラミッド
紀元前2500年ごろ/ギザ(エジプト)
参照:Wikipedia

ネフェルティティの胸像
紀元前1345年/アマルナ(エジプト)
参照:Wikipedia

ツタンカーメンの黄金のマスク
紀元前1323年ごろ/テーベ [現:ルクソール](エジプト)
参照:Wikipedia

やっぱ知っているものが多いぜ!

「エジプト美術」の特徴は?

それでは、エジプトの美術の特徴を見ていきましょ♪

他の古代の美術と比べても独自性が強そうだから楽しみだぜ!

3,000年変化しなかった美術

エジプト美術の最大の特徴は、3,000年という長い時の中でほとんど様式が変化しなかったこと。

なるほど、だからエジプト美術って言ったらこんな感じっていうのがすごくはっきりしているのか!

ギリシャの哲学者プラトン「エジプト美術は1万年を経ても変わっていないだろう」と言ったとされているわ。
それくらい、エジプト文明は保守的で伝統を重んじていたのよ。

それゆえに絵の描き方も2,500年間ずっと同じスタイルだったの。

どんなスタイルなんだ?

大きな特徴としては、
・正面を向いた胴体
・横向きの顔
・横向きの両足

という感じね。

これはあくまで人を描くとき限定で、細かく言うともっといろいろあるんだけど。

特徴を頭の隅に置きながら、エジプトの壁画を見てみるといいわ。

古代エジプト絵画の例(1)
古代エジプト絵画の例(2)
古代エジプト絵画の例(3)

確かに、顔や爪先は左か右を向いているのに、肩からお腹にかけてが正面を向いている……!

墓地や神殿は豪華、家は質素

エジプトの人たちは、死者の世界をとても大切にしたの。

だから、お墓はとても豪華に作ったのよ。
その典型的な例がピラミッドね。

とんでもなくデカい墓だよな〜あれ!

さらに、エジプト神話という独自の神話が発展しただけあって古代エジプトの人々はとても信仰心が厚かったのよ。

だから、神様を祀る神殿もとても豪華に作ったの。
下の画像はアブ・シンベル神殿だけど、とても規模が大きいでしょ?

アブ・シンベル神殿
参照:Wikipedia

おお〜壮大だなぁ!

墓とか神殿をこれだけ大きく作っているんだから、古代エジプトの人たちはめっちゃ裕福だったんだろうなぁ。

それがね、死者の世界を重んじるばかりに、生きている人々の生活は限りなく質素だったの。

日干しレンガと植物の葦で作られた家で、特に墓地や神殿のような装飾も施さなかったのよ。

え〜〜、そうだったのか?!

家が日干しレンガなのに対し、墓地と神殿は石造り
これはエジプト人が「永遠性」を重じていたことが関係するわ。

石の建築と永遠……、何が関係しているんだ?

石は、当時の他の建材と比べても朽ちにくかったのよ。
それゆえに、「永遠であれ」という願いが込められていたの。

実際に、墓地内には
「太陽のごとく永遠に」
「永遠永劫に」
「永遠の生命、健康、富」

といった言葉が繰り返し記されているの。

古代エジプト人は「永遠」が大好きだったんだなぁ〜。
なんかビジュアル系バンドマンっぽいな。笑

(歌琳さん、それは地雷を踏みかねない発言だわ……!)

異彩を放つ「アマルナ美術」

歌琳さん、わたし最初に「3,000年変化しなかった」と言ったわよね?

ああそうだな。

あれは、厳密に言うと間違っているの。

ええ〜っ?!

エジプト文明の長い歴史の中で、一時期だけまったく違う美術様式があったの。

それが、紀元前1,300年ごろに栄えた「アマルナ美術」よ。

そんな時期があったのか?!

アマルナ美術は、エジプト新王国、第18王朝の王であった「アメンホテプ4世」が宗教改革をおこなったことがきっかけで生まれた美術様式なの。

アメンホテプ4世がおこなった宗教改革をざっくりまとめると、

・多神教から「アテン神」を唯一神とする一神教に変更
・テーベからアケトアテン(現:アマルナ)へ遷都
・自らの名前をアクエンアテン(「アテンに愛される者」という意味)に改名
・これまでの伝統を打ちやぶる「アマルナ美術」を開始


の四つ。

おいおい、それまで2,000年近く変わらずに続けていた伝統を、思いっきり変えていないかこれ?!

そう、かなりの大規模な改革だったの。

改革をおこなった理由としては、
王朝のあったテーベの町の守護神・アメン神を祀る神官たちが、権力を持ちすぎたのをアメンホテプ4世が嫌がった
という説があるわ。

でも、アメンホテプ4世自身かなりアテン神に入れ込んでいたようなので、個人的な都合で宗教改革をおこなったという見方もできるわね。

まぁ、自分の名前を「アテンに愛される者」ってしちゃうくらいだもんなぁ……。

そんなアメンホテプ4世の時代は、伝統的な古代エジプト美術とは真逆をいくと言ってもいい「リアルで生々しい美術」が流行ったの。
それが、「アマルナ美術」ね。

実際に作品を見てみましょ。

ネフェルティティの胸像
紀元前1345年/アマルナ(エジプト)
参照:Wikipedia

アクエンアテン王とネフェルトイティ王妃
紀元前1345〜前1337年ごろ/アマルナ(エジプト)
参照:ルーヴル美術館の公式ウェブサイト

ほんっっっとだ!!
全然違う……!!

画像がどちらも彫刻だから比較しづらいところはあるかもね。

でも、ほうれい線や首筋まで表現されているのは他の古代エジプトの美術と大きく違うわよね。

……でもさ、ここまで宗教も首都も美術も変えちゃったらさ、すげぇ反発があったんじゃないのか?

そうだったと思われるわ。
実際アメンホテプ4世の2代後の王によって首都はテーベに戻り、宗教も多神教のアメン信仰に戻ったの。

その王が「ツタンカーメン」よ。

ええーーっ!!
ここでいきなり、めっちゃ聞いたことある名前が……っ!!

ツタンカーメンの黄金のマスク
紀元前1323年ごろ/テーベ [現:ルクソール](エジプト)
参照:Wikipedia

みなさんもおなじみの「ツタンカーメンの黄金のマスク」、これをよーく見てみてほしいの。

……いいかしら?

お、おお……。
よーく見たぜ!

では、歌琳さん。
この黄金のマスクは、

(1)伝統的なエジプト美術
(2)アマルナ美術


どっちの要素が強いと思う?

うーーーん!!
目のアイライン?みたいな縁取りは伝統的なエジプト美術っぽく見えるけど……。

でも、これやっぱり鼻とか唇の表現とか、かなりリアルだよな?

そう。
実は黄金のマスクは、アマルナ美術の影響がかなり色濃く残っているのよ。

アマルナ美術は確かに一時的なものだったけど、その後の王たちもアマルナ美術の様式を受け継いでいた部分があったのよ。

それで、エジプト美術はその後どうなっていくんだ?

その後は、王国の力がだんだん弱まっていって、エジプト美術も他国の影響を受けるようになって独自性を失っていったわ。

そして、紀元前332年にアレクサンドロス大王によってエジプト征服されて後世の美術へと吸収されていったの。

そっか〜……。
メソポタミア文明もエジプト文明もアレクサンドロス大王に滅ぼされちまったのか……。

「エジプト美術」が見れる場所は?

エジプト美術は、美術館というより博物館の方が見られることが多いわ。

ただ、国内だとなかなか見られる場所が無いわね。

ルネちゃん!
なんか2009年に日本初の古代エジプト美術を扱った美術館がオープンしていたらしいぜ!

えっ?!
それは知らなかったわ……!

うちも実際に行っていないからどういうところかはいまいち分からないんだけど、一般公開されている古代エジプト美術では日本最大のコレクション数を誇る私設美術館らしいぜ!

くわしくは下のリンクをチェックしてみてくれ❗️

▶︎ 古代エジプト美術館 公式サイト

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