「アカデミック美術」を分かりやすく解説!

「アカデミック美術」を分かりやすく解説!

今回はアカデミック美術について解説するわね。

「アカデミック美術」の代表作は?

まずは代表作から見ていきましょう。

アレクサンドル・カバネル「ヴィーナスの誕生」
アレクサンドル・カバネル「ヴィーナスの誕生」
1863年/オルセー美術館所蔵(フランス)
ウィリアム・アドルフ・ブグロー「アムールとプシュケー、子供たち」
ウィリアム・アドルフ・ブグロー「アムールとプシュケー、子供たち」
1890年/個人蔵
ジャン=レオン・ジェローム「アレオパゴス会議のフリュネ」
ジャン=レオン・ジェローム「アレオパゴス会議のフリュネ」
1861年/ハンブルク美術館(ドイツ)

アカデミック美術という言葉は聞いたことがなかったけど、絵自体は見たことがあるものもあるな!

「アカデミック美術」の特徴は?

それではアカデミック美術の特徴を解説するわね。

まずはアカデミックが何を指すのか知りたいな!

そうね。

今回はアカデミック美術の特徴を解説する前に、まずアカデミックとは何かとその歴史について触れていくわね。

アカデミー(美術学校)で学ぶ正統派美術

アカデミックというのは「アカデミー風の」という意味だわ。

アカデミーってなんだ?

美術史におけるアカデミーは「芸術アカデミー」のことを指すわ。
16世紀に始まったものを起源とする美術学校よ。

日本で言うと美大とか芸大みたいな場所ね。

現在のエコール・デ・ボザールの外観

現在のエコール・デ・ボザールの外観。
エコール・デ・ボザール – Wikipedia

なるほどな!
どんな学校なんだ?

時代によっても違うけど、19世紀以降のアカデミーには中心となる制度が三つあるわ。

エコール・デ・ボザール(芸術家の教育機関)
ローマ大賞(留学や奨学金の特典がある芸術賞)
サロン(自主運営の展覧会)

の三つよ。

教育制度だけでなく、留学制度や奨学金制度まであるのか……!

ちなみに、アカデミーはどういう経緯で設立されたんだ?

芸術は知的な学問分野であり、芸術家はきちんと育成されるべきだ!
という機運が高まって設立されたのよ。

たしかアカデミーが設立した16世紀当初は、芸術家というよりは職人の時代だったし、教育を受けるんじゃなくて親方に弟子入りするスタイルだったもんな……!

その後、1661年にフランス国王のルイ14世が国策として芸術活動を統制するようになったことで、アカデミーは国王直属の機関になり再編されたの。

ルイ14世の肖像画
ルイ14世の肖像画。

私立の学校が国立化したみたいな感じだな!

そんな感じね♪

再編されたことによって、
「美術教育とはこうであるべきだ!」
という理想を掲げるようになり、教育が体系化されていったわ。

うんうん。

なので、アカデミック美術というのは、
正規の美術教育を受けた人による正統派美術
なのよ。

なるほどな〜。

でもさ、なんで正統派なのに同時代の印象派などと比べて知名度が低いんだろう?

それについては、記事の最後の方で解説するわ♪

新古典主義とロマン主義の融合した理想美

ルイ14世がアカデミーを再編した後、アカデミー内である論争が起こるようになるの。

どんな論争だ?

ニコラ・プッサンとピーテル・パウル・ルーベンスのどちらを手本とするべきか
という論争よ。

おおお……!どういうことだ?!

プッサンもルーベンスも17世紀フランスを代表する画家。

プッサンは理性的できっちりしたデッサンが特徴で、ルーベンスは感情に訴えかける色彩が特徴だったわ。

なるほど、アカデミーの方針として、

プッサンのようなデッサン重視の理性派
ルーベンスのような色彩重視の感情派

のどっちを目指すのがより良い美術教育なのか、議論が巻き起こったってことか!

そう。

一応、一回は論争が落ち着いたのよ。

でも、18世紀末に新古典美術ロマン主義が展開されるようになると、理性派vs感情派の論争が再燃したの。

あらら……。
で、結局その論争の行方はどうなったんだ?

最終的には、
「理性的な新古典主義と感情的なロマン主義を融合した、理想の美を目指しましょう!」
というところに落ち着いたわ。

お〜、折衷案で落ち着いたんだな!
良かったぜ!

以後、19世紀以降のアカデミーではひたすらこの理想を目指す形で教育がおこなわれたの。

保守的で貴族趣味に寄せた絵画

でも、当時の若手芸術家からしたらいいよな〜。
体系的に美術が学べる上に、評価してもらえる場所まであるんだもんな〜。

そうね。

ただ、一つ問題が生じたのよ。

問題?

それは、
新しい美を追求しづらい風潮になった
ということよ。

え、どういうことだ?

アカデミーが体系化されるほど、
アカデミーで評価されることが芸術家としての成すべきこと
となっていったわ。

アカデミーがルネサンス以降の、とりわけ新古典主義ロマン主義を理想と掲げている以上、そこから逸脱したらすべて低評価になってしまうのよ。

な、なるほど。

日本の教育でも
「自分の考えを持つ子より、聞き分けの良い子を評価」
みたいな風潮があるけど、それと似たような感じか……。

正解を決めてしまうと、それ以外が全部不正解になっちまうのか……!

もはや絵のテーマ選びでも、歴史画や神話画以外を選んだ時点で低評価になるくらい、若手の芸術家たちはがんじがらめになったわ。

アカデミック美術は保守的だったんだな……。

その上、アカデミック美術は貴族趣味でもあったのよ。

代表作を見ても分かるでしょうけど、妙に耽美な印象が無いかしら?

アレクサンドル・カバネル「ヴィーナスの誕生」
確かにギリシャ神話の「ヴィーナス誕生」を描いたものではあるが、ヴィーナスのポーズが妙にエロティック。

確かにな。
なんかエロいっていうか……。笑

ポーズもそうだし、肌の描写のきめ細やかさも……!

これは、アカデミーが国王直属の機関だったことが関係しているの。

アカデミー会員(アカデミーで評価された人)たちは、結局最終的には国王などのおえらいさんに気に入られる必要があったわ。

歴史画や神話画の体裁をとりつつ、上流階級のじいさんたちの
「若いおなごのエッチな絵が見たいのぉ」
という要望に応えていた
のか……!

聞こえは悪いけど、要するにそういうことね。

にしても、貴族っていつの時代もエロティックなものを求めるよな〜。
ロココ美術も似たような感じだったよな!

新しい表現を求めた画家たちから反発

保守的なアカデミーに対して、芸術家を志した19世紀の若者たちは徐々に不満を募らせていったわ。

新しい表現や理論に対して軒並み「ダメー」って言われたら、そりゃ不満もたまるよな……。

風向きが変わったのは、1852年にナポレオン3世が皇帝になり、フランス第二帝政を始めたときのこと。

ナポレオン3世は、独自の芸術政策を進めてアカデミーと対立したの。

おお!

この頃、アカデミーのサロンは公募展(※)として機能していて、エコール・デ・ボザールで教育を受けていなくても応募できたわ。

※公募展:一般応募して集まった作品に対し審査員などによる審査を経た入選作品を展示する展覧会のこと。

でも、あまりにもアカデミーが保守的なために、新しい試みをしている芸術家たちが数多く落選したの。

とりわけ1863年は、例年以上に審査が厳しくて不満が噴出したわ。

あらま……。

そこでナポレオン3世は、アカデミーに「落選展」という展示を開くように命じたの。

要するに、アカデミー会員以外の美術愛好家や一般大衆に、落選した作品を評価してもらう場を作ったのよ。

それはありがたいな!

他にも、1855年には写実主義の画家・クールベが世界初の個展を開いたり、1874年には印象派の画家たちが第一回印象派展を開いたりしたわ。

新しい表現を追求する画家たちが、アカデミーを無視して自分たちで活躍の場を切り開くようになったんだな〜!

歌琳さん、最初に
「アカデミック美術は正統派の美術なのに、なんで知名度が低いのか?」
と疑問を抱いていたわよね。

どうしてか分かるかしら?

ここまで話を聞いたからイメージが湧いたけど、

アカデミック美術に反発した印象派などが、最終的に評価されて美術史の主流になったから

だよな?

そういうことね。

「勝てば官軍負ければ賊軍」という言葉があるけど、まさにそのとおりになってしまったのよ。

とはいえ、現代ではアカデミック美術を見直す風潮もあるわ。

「アカデミック美術」が見れる場所は?

アカデミック美術の作品がまとめて見られる場所は、残念ながら日本には無いわ。

グッズとか広告で使われてはいるけど、たしかに作品として展示されているイメージは無いな〜。

そして、アカデミック美術としてまとめられている画集や書籍もほとんど無いの。

マジか……!

ただ、いくつかアカデミック美術やアカデミーのことに触れている書籍があったので、紹介しておくわね。

▼ アルバート・ボイム「アカデミーとフランス近代絵画」

▼ 「西洋美術研究〈No.2〉特集美術アカデミー」

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