【西洋美術史】「メソポタミア美術」を分かりやすく解説!

【西洋美術史】「メソポタミア美術」を分かりやすく解説!

では今回は、メソポタミア美術の解説をしていくわね。

メソポタミア美術って、歴史の教科書で出てくる四大文明の「メソポタミア文明」の美術だよな?

だいたいその理解で正しいわ。

ただ、メソポタミア文明ができあがった紀元前3,500年ごろからアレクサンドロス大王によって滅ぼされる紀元前330年までの美術がすべて含まれるので、時期によっても結構作られたものが違うのよ。

「メソポタミア美術」の代表作は?

まずは代表作を時代が古い順番から見ていくわね。

ウルのスタンダード
紀元前2,600年ごろ/ウル(現在のナーシリーヤ(イラク)近郊)
参照:Wikipedia

エ・テメン・ニグル(通称:ウルのジッグラト)
紀元前2,100年ごろ/ウル(現在のナーシリーヤ(イラク)近郊)
参照:Wikipedia

ハンムラビ法典碑
紀元前1760年ごろ/スサ(イラン)
参照:ルーブル彫刻美術館

黒色オベリスク
紀元前825年ごろ/ニムルド(イラク)
参照:Wikipedia

アッシュールバニパルの獅子狩り
紀元前645年ごろ/ニネヴェ(現在のモースル(イラク)近郊)
参照:Wikipedia

イシュタル門(※画像は復元されたもの)
紀元前575年ごろ/バビロン(現在のヒッラ(イラク)近郊)
※制作年/場所は実物のもの。
参照:Wikipedia

なんか建築とか彫刻が多い印象だな!

「メソポタミア美術」の特徴は?

メソポタミア美術は、エジプト美術やギリシャ美術など後世の美術にさまざまな影響を与えたの。

さすが最古の文明とも呼ばれるメソポタミア文明の美術だぜ!

代表作同様、歴史の流れに合わせて紹介しつつ、後世の美術へどんな影響があったのかも触れていくわね♪

ギリシャ美術の礎となった大理石彫刻・建築

メソポタミア文明の栄えたチグリス・ユーフラテス川流域は、「肥沃な三日月地帯」と呼ばれるエリアの一部で気候も土地も良くて農業が発展したのよ。

条件が良かったんだなぁ。

ところが、そんな好条件に恵まれたメソポタミア文明にも、ちょっとした弱点があったのよ。

えっ、そうなのか……?

実は、チグリス・ユーフラテス川流域では、建築に適した石材がほとんど産出されなかったの。

だから、最初こそ木材や日干しレンガの家ばかりが建ったのよ。

あ、だからウルのジッグラトも日干しレンガで作られていたのか……!

日干しレンガで作られたウルのジッグラト。
メソポタミア文明におけるピラミッドとも言われる建築物。
参照:Wikipedia

その代わり大理石は産出したので、メソポタミア文明の中心的存在だったシュメール人たちは、大理石を使った小規模な建築や彫刻を発展させていったわ。

そしてこの大理石を使った建築や彫刻は、ギリシャ美術へと引き継がれていくの。

ところで歌琳さん、ギリシャの彫刻ってどんな色のイメージがあるかしら?

えーっと、そうだな。
のイメージが強いかな!
「ラオコーン像」とか「サモトラケのニケ」とかの印象が強いしな……。

ラオコーン像
サモトラケのニケ

この白さは、すべて大理石の色よ。

なるほど、そうだったのか!
にしても、メソポタミア美術がギリシャ美術の元になっていただなんて、すげぇよな〜。

エジプト美術へ影響を与えた「目」

ギリシャ美術だけではないわ。
彫刻などはエジプト美術にも影響を与えているの。

歌琳さん、下の彫刻はどことなくエジプトっぽさを感じない?

エビフ・イルの像

目!目!!
目がエジプト!!!(語彙力)

そうね。笑

当時、「目=魂の窓」という考え方があって、像には神が宿っていると言われていたの。

礼拝者の像
参照:美術検定 @ ウィキ

うわぁ、なんかアプリで加工しすぎた人の顔って感じするな!笑

どういう例えなのよ。笑

なんにせよ、メソポタミア美術は後世に多くの影響を遺したの。

王の権力を誇示する美術の発展

メソポタミア文明の起こった地域は条件がとても良かったという話は最初にしたけど、それゆえに他の民族との争いもよく起こったの。

そりゃそうだろうなぁ。

争いが起こることで、
「王は強くてえらいんだぞ!」
「王はこんなことをやったんだぞ!」
王の権力を誇示するような美術が徐々に増えていったのね。

人間の性(さが)って感じするな。笑

メソポタミア文明の基盤を作ったシュメール人が滅んだ後はいくつかの都市で覇権を争っていたのよ。

そうして紀元前1757年ごろ、バビロンという都市の王様だったハンムラビがついにメソポタミアを統一するの。

ハンムラビ……?
どこかで聞いたことがあるような……。

「目には目を、歯には歯を」でおなじみの「ハンムラビ法典」じゃないかしら?

「ハンムラビ法典碑(ディティール)」
あの有名な「目には目を、歯には歯を」の記述も、この楔形文字の碑文の中にある。
参照:Wikipedia

あーーー!!!
それだ!!!

まぁでも、このハンムラビ法典碑は別に権力を誇示する目的ではないからちょっと違うわね。

王の権力を誇示するという意味で、ぴったりな美術作品が代表作でも紹介した「アッシュールバニパルの獅子狩り」よ。

アッシュールバニパル王が飛びかかってきた獅子(ライオン)を退治する様子が彫られている。
参照:Wikipedia

これは、「俺は獅子(ライオン)に勝てるほど強いぞー!」っていうのを表しているのか?

うーんと、それはちょっと違っていて。

ここで描かれているライオンの首根っこを掴んでいる人物は、チグリス・ユーフラテス川の上流の方で支配をしていたアッシリアの王である「アッシュールバニパル」。

そのアッシュールバニパルが、外敵(ライオン)から自国の民(羊)を守る存在であることを誇示しているのが、この図なのよ。

なるほどな〜!
このライオンは攻撃してくる周りの国の象徴なのか!

彩釉レンガによるカラフル建築

アッシリアが滅んだ後に、チグリス・ユーフラテス川流域で力を持ったのは、新バビロニア帝国。

そこでは、「イシュタル門」のようなカラフルな建築が流行するわ。

おお〜!カラフルいいな!

カラフルな建築を支えたのは、アッシリアで開発された「彩釉(さいゆう)レンガ」

さいゆうれんが……?

簡単に言うと、表面に釉薬(コーティング剤みたいなもの)を施したレンガのことよ。

釉薬をかけたレンガは耐水性が増すし、さまざまな色をつけられるの。

代表作にあった「イシュタル門」がまさに彩釉レンガを使用した建築なの。
壁の部分に近づいて見てみると分かると思うわ。

「イシュタル門(ディティール)」
さまざまな色のレンガを積んで造られているのが分かる。

すげぇ!ほんとだ!

ってか、遠くから見ると一枚の壁に見えたけど、こうやってレンガを組み合わせて作っていたんだな〜!

こうやってレンガやタイルなどを組み合わせて大きな絵や模様を描く技法を「モザイク」と言うの。


モザイク…??

それは個人情報保護などのためにおこなう「モザイク処理」のことね。

(ツッコミの切れ味がするどいぜ…!)

実はこのモザイク技法は、すでにメソポタミア文明の初期のころからおこなわれていたのよ。

紀元前2,600年ごろに制作された「ウルのスタンダード」にモザイクのようなあしらいが見られるわ。

「ウルのスタンダード」

本当だ!
よく見たら細かいタイルのようなものを組み合わせて、表面の絵を描いているな!

このモザイクの技法も、後のローマ美術やキリスト教美術などに受け継がれていったのよ。

改めてだけど、メソポタミア美術ってめちゃくちゃ西洋美術史の原点になっているんだな〜!

「メソポタミア美術」が見れる場所は?

メソポタミア美術を鑑賞することができる場所は、国内だとなかなか無いようね。

海外だとどうなんだ?

海外だと美術館ではなく、博物館にたくさんあるわ。

例えば、今回紹介したものだと、「ウルのスタンダード」や「黒色オベリスク」はイギリスの大英博物館に、「イシュタル門(復元)」はドイツのペルガモン博物館にあるわ。

「ハンムラビ法典碑」はフランスのルーブル美術館にあるようね。

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