【西洋美術史】「ビザンティン美術」を分かりやすく解説!

【西洋美術史】「ビザンティン美術」を分かりやすく解説!

今回はビザンティン美術について紹介していくわね。

独自性が強いとは聞いているけど、どんな美術なんだろうな?
気になるぜ!

「ビザンティン美術」の代表作は?

まずはビザンティン美術の代表作を見ていきましょう。

アヤソフィア(ハギア・ソフィア大聖堂)(内部)の画像
「アヤソフィア(ハギア・ソフィア大聖堂)」(内部)
532〜537年/イスタンブール
キリストと11世紀の皇帝コンスタンティノス9世夫妻の画像
「キリストと11世紀の皇帝コンスタンティノス9世夫妻」
1042〜1055年ごろ/アヤソフィア(イスタンブール)
ウラジーミルの生神女の画像
「ウラジーミルの生神女」
12〜13世紀ごろ/トレチャコフ美術館(モスクワ)
アンドレイ・ルブリョフ「至聖三者」の画像
アンドレイ・ルブリョフ「至聖三者」
15世紀/トレチャコフ美術館(モスクワ)

クセがすごいんだわ!!

(お笑いコンビ・千鳥のノブさん……?!)

「ビザンティン美術」の特徴は?

それでは、ビザンティン美術の特徴を解説していくわね♪

独特な色合いと人物の描写……、
クセがすごいってことはもう分かったぜ。笑

そうね。笑
ただ、初期キリスト教美術の記事を先に読むと歴史の繋がりを感じると思うわ。

初期キリスト教美術+東方の美術

ビザンティン美術は、初期キリスト教美術の特徴を受け継ぎつつ発展した美術様式なの。

初期キリスト教美術の解説記事でもそんな話があったな!

そうね。
でも、ただ初期キリスト教美術を受け継いだわけではないわ。

ビザンティン美術は、初期キリスト教美術に東方の美術が合わさった美術なのよ。

東方って具体的にどこのことなんだ?

古代エジプトやメソポタミアの流れをくんだペルシアなどがそうよ。
現代だとイランのある辺りね。

だからビザンティン美術には、エジプト美術のような精神性やメソポタミア美術のような装飾性があるの。

なるほどな〜。

でもなんで東方の美術が融合したんだ?

その説明をするには、まずビザンティン美術が栄えた「東ローマ帝国」について解説をする必要があるわね。

キリスト教の東西分裂

東ローマ帝国の話にいきなり入る前に、ビザンティン美術の「ビザンティン」の語の由来を話しましょう。

おお!
そこ気になっていたんだよな!

ビザンティンという語は、現代のトルコにある都市・イスタンブールの古い名前「ビザンティオン」が由来なの。

実はイスタンブールは、

ビザンティオン

コンスタンティノープル

イスタンブール


と、名称が変化していったのよ。

あれ?
コンスタンティノープルって、どこかで似たような字の並びを見た記憶があるな……?

きっと、ローマ美術を解説するときに出てきたローマ皇帝「コンスタンティヌス1世」じゃないかしら?

コンスタンティヌス1世の頭像
325〜370年ごろ/カピトリーノ美術館
参照:Wikipedia

そ、れ、だ!!

このコンスタンティヌス1世は、領地が広大で分割統治をおこなっていたローマ帝国を統一したという功績があるの。

偉業だなぁ。

そんな自身の力を誇示するために、ビザンティオンの地にコンスタンティノープルという都市を作ったのよ。

ちなみに、コンスタンティノープルは「コンスタンティヌスの都市」という意味よ。

めちゃくちゃ安直な命名だな!
「はい、ここ俺の街〜!」って感じか!笑

ふふふ、そうね。笑

でもコンスタンティヌス1世が亡くなると、また分割統治に戻ってしまったのよ。

そしてその後、395年についにローマ帝国が東西で分裂してしまったわ。

あ!
そこで誕生したのが東ローマ帝国ってわけか!

そのとおりよ。

そして実は、帝国が分裂するより前から、すでに教会も東西で分裂してしまっていたの。

具体的には、西ローマはカトリック教会が、東ローマは正教会が中心となったわ。

信仰が広がれば広がるほど統一は難しくなっていったってわけか……。

カトリック教会と正教会は、聖書の解釈も礼拝のスタイルも全然違うの。

だから、美術の様式も別のものになったわ。

なるほどな〜。
そういう政治的、宗教的背景があったのか。

それと地理的な要因もあるわ。

東ローマ帝国は東方世界と地続きだったから文化が混ざりやすかったのよ。

同じ顔立ち・ポーズばかりの「イコン」

ビザンティン美術は、初期のころはモザイク(※1)やフレスコ画(※2)で作られた作品が多かったの。

東西の分裂後は、正教会の信仰と結びつく形で「イコン」が作られるようになったわ。

(※1)モザイク:ガラス、貝殻、木などを並べて埋め込んで、建物の床や壁面に絵や模様を表す技法。
(※2)フレスコ画:生乾きの漆喰の上から水または石灰水で溶いた顔料で絵を描く技法。

イコン?

木の板などに描かれた礼拝のための絵画のことよ。

代表作の「ウラジーミルの生神女」や「至聖三者」はイコンね。

「ウラジーミルの生神女」
アンドレイ・ルブリョフ「至聖三者」

なんか顔の雰囲気もポーズも似通っているよな。
ちょっと首をかしげている感じとか……。

そうね。
これは、初期キリスト教美術と同様に精神世界を描こうとした結果なのよ。

なるほどな。
描こうとしたものと描き方が似ているから、ビザンティン美術と初期キリスト教美術がひとくくりにされがちなんだな〜。

そうね。

ちなみに、このころのキリスト教美術はとても厳密に型が決まっていたのよ。

画家がオリジナリティーを出せたのは服のひだくらいだったと言われているわ。

うわー、マジかー!

けどさ、この時代の画家たちは
「もっと自由に描かせてくれー!」
って暴動とか起こさなかったのか?

起きないわよ。笑

だって、この時代の画家たちはみんな、熱心にキリスト教を信仰している修道士だったんだもの。

き、キリスト教ってすごいぜ……。

現代まで受け継がれるビザンティン美術

東ローマ帝国は、4世紀から15世紀に至るまでの約1000年間続いたの。

その間、ビザンティン美術はほとんど表現が変化するがなかったわ。

その頑なさは、同時代の他の地域の作品と比べると一目瞭然よ。

アンドレイ・ルブリョフ「至聖三者」
ヤン・ファン・エイク「アルノルフィーニ夫妻像」

どちらも15世紀の作品で、左は代表作でも紹介したロシアの画家、アンドレイ・ルブリョフの描いたイコンよ。

一方で右側は、現在のオランダの辺りで活動していたヤン・ファン・エイクの作品よ。

この二作品は、制作年が5〜20年程度しか離れていないわ。

え〜〜?!
これが同時代の作品なのか……?!

驚くわよね。

ちなみに少しずつ変化しながらも、イコンは現代でも大きく形を変えることなく描かれているのよ。

例えばこれなんかは2000年代に作られたイコンよ。

アレクサンドル・アイネトゥディノフ「顕栄」。
多少の変化はあるものの伝統的な描き方を踏襲している、21世紀に作られたイコン。
参照:イコン – Wikipedia

現代でも……!

なんだかこの感じ、2000年近く伝統を守り続けたエジプト美術と似ているな!

そうね、確かに似ているわ。

あ、そういえばルネちゃん。

代表作のイコンを見ているとロシアのものが多い感じするんだけど、ビザンティン美術はロシアまで伝わったのか?

鋭いわね♪

ビザンティン美術は現在のトルコやギリシャの辺りからブルガリア、ルーマニア、ロシアにまで伝わったのよ。

現在、正教会の信仰者数がもっとも多いのはロシア正教会。

そう考えると、ロシアの人々が正教会を受け入れたことが、ビザンティン美術が現在まで受け継がれた理由の一つになっていると思うわ。

「ビザンティン美術」が見れる場所は?

現在、国内でビザンティン美術を見ることができる場所はほとんど無いわね。

まぁ、美術館の企画展でもビザンティン美術を扱っていることって、そんなに多いイメージ無いもんなぁ。

なので、ビザンティン美術をもっと深く知りたいのであれば書籍や画集を見ると良いと思うわ。

▶︎ Amazonの「ビザンティン美術」のリスト

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